富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

香港特区成立記念市民示威日

fookpaktsuen2011-07-01

陰暦六月初一。晴。太陽暦では七月一日で香港特区成立記念日で毎年恒例のデモは2003、04年に続く参加者になるのでは?、のなか九時のジェットフォイル=冷凍船で一路、澳門蟹工船で剥き身にされ冷凍された蟹か、といふ寒さ。今回も旅遊学院の望厦賓館爆満でPonte16なる賭場娯楽施設(こちら)にあるソフィテルマカオこちら)にご一泊。ホテルのシャトルバスでホテルに往き荷物預け出街。果欄街の洪聲椰子ココナツの雪糕頬張る。今日は澳門通(Macaupass)忘れてきてどうせ明日までまたかなり路線バスに乗るのに不便だから、とセナド広場抜けマカオパス取扱所(美麗街といふ「なぜここなの?」の裏道にある)にカード購入に往く。香港だとMTR各站でオクトパス買へるが澳門はこのへんは不便でも香港ほど観光客がカード買ふものではないらしい。公共交通は路線バスに頼るが観光客には賭博場の走らせる無料バスが便利。するとさすがに取扱所は新填海區の公共ビルに移転してしまひ其処まで往く元気もなく路線バスで氹仔へ。百年一日の如くXiolas師のCastiçoに昼を食す。食前の麦酒で三十分、焼いた鰯、豚肉と豆の煮物を食し食後も飲み続け二時間余。ホテルに戻り客室宛てがはれ下榻。内港対岸の珠海、湾仔を一望のプールサイドに寛ぐつもりがプールがホテルの規模にしては小さく家族連れ客で賑やかすぎて退散。部屋で午睡。哺時出街。セナド広場抜け白馬行のUnicamといふ中古カメラ屋覗く。フィルムカメラ好きの若者ら少なからず。日暮れてマカオソウルに寄るが昼の葡萄酒がまだ抜けずワインラウンジなのに澳門麦酒。地下のライブエリア初めて覗いたらご亭主(David Higgins教授)の趣味で浮世絵など展示あり巴水も二つほど。澳門で英国人の病理学専門家と巴水の新版画のお話するのも不思議。ようやく少し空腹感覚へ大三巴から白鴿巣公園の横の路地を下り仁慕街の六記粥麺で夕餉。冷房も扇風機も全然きかない暑い店で汗かきながら麦酒が美味い。六記は十六、七年ぶりかしら。マカオの旧市街で歩くと果欄街、十月初五日街あたりが頻なアタシらにはソフィテルは便利。六記からも内港の碼頭を廿九から数えるやうに旧十六まで下るとソフィテル。
中谷巌の「資本主義はなぜ自壊したのか」をここ数日読んでゐる。今年一月に文庫(集英社)になつて、あの話題の本を今になつて読む。あれだけ新自由主義吹聴した御仁が「間違つてました」は自分の誤謬を正々堂々と認め新自由主義経済の何が狂つてゐるのか考へるのは非を認めるだけ立派だが中谷先生、アタマもいゝのだらうし何故にもつと早く、もつと容易にその新自由主義の気違ひぶりに気づかなかつたのかしら。今更「はたして資本主義とは本当に優れた経済体制なのか」と疑ひ考察を続け、この本で紹介されるのもキューバブータンそしてポランニーなのよ。そんなの昭和のころにアタシだつてわかつてゐること。で新自由主義の資本主義批判は一神教の怖さ、カルト宗教国家としての米国と話はだん/\大風呂敷となり、かなりベタな日本「文明」の特異性、面白さを列挙し、これからのポスト・グローバル資本主義世界で日本の果たすべき役割は大きい、と説く。産業の空洞化や格差拡大など社会問題もあるが、日本はことに自然と共生した社会の安心と安全を世界に広めるのだ、と。申し訳ないが八十年代前半のジャパンアズNo.1の時代なら兎も角、今更、日本型経営なんて誰も再評価できないし「安心と安全」も福島核禍で東電や政府の対応に誰ももう日本にさうした信望もないのが現実。モンスター化したグローバル資本主義に鎖を、グローバル化した資本主義を制御できる強制力をもつた世界中央政府を!って、これぢゃ今どきハーバード大学で経済学でPh.Dも取れないし一橋大学でも卒論でも「優」は呉れませんよ、中谷先生。
▼この中谷本で一つ興味深かつたのは、戦後の米国の豊かな社会を支へてゐたのは(フリーマン的な市場主義でなく)総需要管理を政府の役割として重視してゐたケインズ経済学と、その背後にあつた「偉大な福祉国家」建設の強い信念であり(新古典派総合の結果といふより)フランクリン=ルーズベルトニューディール政策や平等社会実現のための諸政策、公共事業活用の福祉社会建設にあつた、と。確かに、と思つて読んでゐたら、これは「伊東光晴先生のご教示による」とあつて「なんだ、なるほど」と思つたが(笑)、アタシがふと思ひ出したのは小沢さんが民主党で党代表だつた頃にニューディール政策に言及してゐたこと。確か「環境」と「安全、安心」だつたか、その分野で内需拡大を、と当時はたゞの大風呂敷と思つてゐたが震災と核禍のあと今になつて思ふと強ち間違つてゐないだらう。それにしても角栄型の土建政治と政争のプロが民主党で社民路線を学んでゐたのだから実現してゐたら面白かつたはず。
▼今日の信報で劉健威兄が語る「石壓死蟹」が大変興味深い。北京中央から港澳辦の王光亞主任が来港したのは香港で各界の代表や市民と交流なんてそんな単純な目的ではなく十中八九、そのミッションは立法会の議員辞職による補選問題だらう、と健威兄。王光亞が六月十四日に離港し香港政府がその三日後、十七日に「突然」立法会条例改訂による補選方法の変更を提案。突然のこの補選実施せず次点で落選候補の繰上げ当選といふ案は弁護士会違憲とし提案取消求めたが政府側は態度強硬。これにつき健威兄は香港ではまだ余りよく昨年の「五区公投」の深刻な意義が理解できていないのでは?と。公投(公民全民投票)といへばかつて李登輝、阿扁が台湾独立を台湾全土で「国民」投票にかけ、その可否を問ふ、と宣つたが遂ぞ実現せず、その背景には中国と米国政府のかなりの外圧あり。阿扁政府もこの全民投票実施し結果が台独に傾けば中共は軍事行動も辞さぬこと察してゐたはず(ゆゑに投票実施を観測気球的に上げただけで実施せぬことで政治的取引のやう)。香港では泛民主派が香港政府に対して市民の政治的判断が政府支持なのか不信なのか、を問ふといふ「それだけ」の目的で五区公投を実施したが、実際には全民公投の手法こそ、これが台湾や大陸に波及することが中国政府にとつて絶対に容認できないこと。健威兄曰く2003年の70万人デモと23条立法反対は中国政府も妥協できたが今回のこの「公投」論争は中央政府の政治底線(絶対に認められぬ限界線)に抵触するもので、たとへ百万人の市民デモがあつての中央は絶対に譲歩せまひ、と。まだ一国両制は実在するのかしら?と健威兄は嘆く。それにしても確かに、この立法会の補選問題はたんに香港の政治問題に非ず。公民投票こそ一党独裁国家にとつて最も忌み嫌ふもの。