富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-05-15

五月十五日(日)昨晩、長雨でさすがに地温気温が下がつたか突然の冷風に冷房もつけず窓開けつ放しの陋宅は夕食後に酔ひまかせ転た寝してゐたアタシはぞく/\と悪寒感じて目覚めたら、もう身体がすつかり冷えちまつて怠さと風邪気味。今朝も雨模様で悪寒。午前中、神保&宮台 VideoNews.comで京大の小出先生らのコメント拝聴。昼前にZ嬢と出街。Robinson Rdより粗呆區下り中環で食材や雑貨購ふ。擺花街の羅富記に昼を食す。麺のほかに白灼腰潤片、小欖炸魚球。三聯書店。沈鑒治氏の「君子以經綸」購ふ。夕方、ジム。晩に無花果と生ハム、サラダなど食しトマトのパスタ。南アフリカのRupert&Rothschild Vigneronsのクラシク04年。朝に続いて神保&宮台でゲスト武田徹氏で「「ゴジラ鉄腕アトム田中角栄原発大国への道」聞く。
▼沈鑒治氏について。上海に生まれ日軍侵華で香港に逃げ香港陥落で上海に戻り1949年に上海の聖約翰大学を卒業。同大学が1953年に廃校となるのだから聖約翰大学出の戦後最後の文人の一人。略歴は http://zh.wikipedia.org/wiki/沈鑒治 参照。戦後は映画やテレビ業界に身を置くが転じてAPO(アジア生産性機構)の幹部として1968年から20年間は東京在住。その後、林行止氏に招かれ信報編集長を10年。京劇通として著名。幼い頃からの写真見るだけで「格が違ふ」お方。
▼神保&宮台 VideoNews.comより。小出先生の最悪シナリオは圧力容器内での水素爆発だつたが、圧力容器に水がなければも燃料棒も溶け(餡状態)、格納容器も損傷で水が建屋の底に水がある状況。「幸か不幸か」温度ぢたいは下がつて水素爆発の可能性が下がつても混凝土の床も溶かすと今度は地下水脈……水素爆発の危機は避けられても放射汚染は地下から根強く、なのかしら。結局、東電の発表はみんな誤謬で政府の後追ひも悲劇的。何も信じるものはなく小出先生も「もう推測もできない」と。神保氏ですら日本的な?「水素爆発は回避できた」は蔡瀾氏の仰る「明日、花見なのに雨が降ったらどうしよう」が晴れて「良かったわねぇ」の最悪の悲劇想像して悲劇回避で幸ひと喜ぶのと同じ(幸ひでなく「雨が降るか降らないか」だけの50%の確率で喜べる安易さ)。日本はチャイナシンドロームでなくてブラジルシンドロームか、あの映画の主演は誰だつた?なんてどーでもいゝ会話を宮台先生と。で汚染水はどうするのよ。東電どころか保安院も「認識に誤りがあった」で済むのだから先の大戦と同じ無責任の体系。反省したつて、もう遅い。「信用していたデータが」のが誤謬の理由で済むのだから。

朝鮮彼の如く支那此の如く而して西伯利田中支隊の全滅が如き嗚呼何等の不祥事ぞや。今や我國に一つの友邦無し。斯くて世界に立たんは不可能の事也。罪を軍閥にのみ歸する勿れ總て是れ國民の不明に基くの罪也。國民今に於て自覺せずんば遂に亡國あるのみ。

宮崎滔天一九一九年朝鮮三・一獨立運動の報を聞いての辯。
東海村に原研が出来て原子力の火が灯つた当時、反対や恐怖がなかつたのだらう、といふ話を先日、母としたことを思ひ出す。当時は不思議と本当に怖いと思はなかつたのよね、と母。結局、原子力はいゝも悪いも当時「人類の最先端の技術」であり英知。広島と長崎で数十万の人を殺すことも出来たが「平和利用すれば」「夢の」エネルギーとしても石炭!の時代にあつて資源のあまり必要のない巨大なエネルギーとして人類の科学として他に比較もできぬ最高の技術に転用できた(「出来る」と信じられてゐた)。大阪万博だつて美浜原発からの電力供給もあり。まさかその確かに最先端の技術がまさか人類が制御し得ぬほど未曾有の力をば有しプルトニウムだの使用済み燃料を処理も出来ぬことにならうとは思ひもせず。曼哈頓計画のオッペンハンマー博士が仰つたテクニカルスイート=技術的に甘美であるから、は確かに。日本も理研が福島の磐城石川で天然のウラン採掘とて、こんな原油天然ガスも足下にも及ばぬ資源があれば、と当時の関係者が思つたのも道理かしら。