富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Jean-Pierre Armengaud@澳門牛棚

fookpaktsuen2011-04-29

四月廿九日(金)雨本降り。Z嬢と朝九時過ぎのジェットフォイル澳門。タクシーで東望洋山。Hotel Guia下榻。いつもの旅遊学院のPousada de Monhaが満室で、の選擇。高台の瀟洒な五階建てのプチホテル、これが巴里や里斯本なら十分の三ツ星だが如何せむ中国の田舎漢が幅きかせ憂鬱。とくにすることもなく坪石広場から中央図書館。適当に来たバスに乗り往つた先は台山。塀越に跑狗場狗舎からグレイハウンド犬の鳴き声きゝつ台山街市。Z嬢がいゝにおひに惹かれたは豬腳薑の店(紹介)でまだ馳名の豬腳は煮へてなかつたが生薑汁で似た鶏蛋と生薑を頬張るとこれが美味。路線バスで氹仔。百年一日の如くXiolasのCastiçoに昼を食す。三月下旬に訪れた際に店が小綺麗になり卓の数増へ息子らしき若者が店を手伝ふのに驚いたが今日は女将登場。広東語解す澳門土生の葡人で馴初めなどよくわからぬが尋ねるも無粋でいつものやうに食し飲む。それなりに客多く女将はまさか親方のやうにアタシらに甘葡萄酒振る舞ふやうなこともなく店をば出ようとすると親方から「酒を飲む暇もない。申し訳ない」と謝辞。孫逸仙博士大馬路の大昌超級市場。三月には日本核禍の風聞で澳門は「塩買ひ占め」あり市場から食塩が消えてゐたが今はもう供給あり。Z嬢が葡産の岩塩を2kgも買ひ求め店員からすると「日本人が塩を買ふ」=やつぱり放射線被曝には塩、と勘違ひするのでは、と嗤ふ。アタシはFavaiosの最近お気に入りの甘い葡萄酒を一瓶。ポートよりファヴァイオスの少しあつさりとしたモスカテル(マスカット)の葡萄酒がアタシは最近好きになつた。路線バスでマカオ市街に戻りホテルで午睡。日暮れに東望洋山の松山公園を漫ろ歩き二喉龍公園。山から熊舎をば急襲したがは今日も熊は出て来ず。利多餐庁に早い夕食。老女将が転んだのか膝が痛いと、それでも店内をば往復して歩行訓練。店内のテレビでは倫敦からウヰリアム王子結婚の生中継。この老女将はエリザベス二世女王より年上のはず。歩いて牛房倉庫(Ox Warehouse)。French MayでJean-Pierre Armengaud(ヰキ)のピアノリサイタル(詳細)。さう、今回はこのためにマカオに来たのでした。サティのグノシエンヌと「最後から2番目の思想」、ドビッシー「子どもの領分」からGolliwogg's Cake-Walk、前奏曲2から「妖精たちはあでやかな踊り子」と映像2から「荒れた寺にかかる月」と「金色の魚」。続いてラヴェルのMa Mère l'Oyeから「パゴダの女王レドロネット」、水の戯れ、鏡から「道化師の朝の歌」。中入り後はJean-Yves Bosseur(1947〜、公式)作曲のPochade pour le marquis de Yi なる曲は中国の武漢の鐘の音からの印象云々。でドビッシーの映像1から「水の反映」そして「月の光」と前奏曲2から「水の精」と最後は「花火」……とFrench Mayで仏人作曲家のピアノ曲は当たり前田のクラッカーだがたつぷり。しかもかなりシノワズリ支那趣味)の曲が並びアンコールはサティのジムノペディ1番。これらの曲がなんと優美で、しかも20世紀代表するやうなサティもドビッシーも、もはや奏法どころかアレンジしてません?といふくらゐ21世紀的解釈の凄さ。長くて90分といはれてゐたがジャン=ピエール師は曲の紹介に加へ仏蘭西の20世紀初頭の作曲家にとつて中国の印象がどういふ影響をば与へたか、を曲間に長く語り、終はれば二時間半近く。ピアノのリサイタルとしては環境はけして良くない、かつての牛舎ではあるが音響は悪からず三、四十人相手に最前列のアタシらはピアノから5mくらゐの距離で、まさにサロン的。こゝでこんなピアニストのサティやドビッシー、ラヴェルが聴けるとは。路線バスでホテルに戻る。冷房を止めてもまだ冷気が流れてくるとか安物の冷蔵庫のモーター音が気になるのは冷房は送風口を持参のガムテープで目張りして冷蔵庫は止めてしまふ、それくらいの自衛なら出来るが隣部屋の客や廊下歩く客の中国語が五月蝿くベッドに入り耳を枕につけるとホテル地下のPlaymate's Club(かういふ「恥ずかしい」名前、素敵……笑)の音楽が四階の客室まで聞こえてくるのはいたゞけず。
▼ウヰリアム王子の手書きはちょっといたゞけません。王族ともなるとやはり筆遣ひもそれなりぢゃないと。結婚相手のケイト嬢のほうがマシ。でやはり女王様となれば、と期待したがウヰリアムさんのお祖母さまもけして上手とはいへぬご署名(写真の証書右肩にご署名あり)。