富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-04-16

四月十六日(土)少し体調は回復。それでも悪寒あり。もう摂氏二十数度で皆、シャツ一枚のなかBlouson姿のアタシはすつかり老人。朝から夕方までご執務。iPhoneに「地震情報」なんてApp入れたものだから十時過ぎ(香港時間)に栃木県南部を震源に最大震度5.5級なんて警報が入る。震度5以上の場合に警報がなる設定なのだ。夕方にFCCで赤葡萄酒一杯とドライマティーニ。FT紙と經濟學人誌読む。經濟學人で先ほど日本が福島の核禍をば「チェルノブイリ級の7」としたことについて
Japan raised the severity level at the Fukushima nuclear-power plant to seven, the highest on the accepted international scale. Only the Chernobyl accident 25 years ago ranked as high.
と表現。なんて正確。オリンピアグレコ珈琲でZ嬢と待ち合せ。なんだか毎週末のやうにHollywood Rdあたり漫歩。久々に蓮香樓で早めの夕食。帰宅。疲れて二更に入るなり臥床。
▼Tyler BrûléがFT紙の連載で“Still time to catch the blossom”と日本は安全に言及。(こちら)。
▼だいたい何事も疑ふ癖のあるアタシなのだが

そもそも被爆線量というのは、その日どれだけ被曝したかではなく、これまでの人生でどれだけ浴びてきたか……という「積算」で評価しなければなりません。現時点で統計的にはっきりしているのが、積算で被曝量が100mmSvを超えると、1Sv(1000mmSv)あたり5%発癌の確率が高まる、ということ。つまり、生涯で積算100mmSvを被曝した人がいて、生涯の癌の発生率が50%であったとすると、それが50.5%になるわけです。ただ、その前に、現代人は二人に一人は癌になる、三人に一人は癌で亡くなられる時代だということも事実です。あとは自分の積算の被曝量とそのリスクを理解した上で、一人/\が自分の暮らし方を選択することだとしか言えません。

なんてコメント(石川正純・北大院教授)を文藝春秋で読んで、なんだかレトリックのやうにも思えつゝどこか「そんなものかも」と思つてしまつてゐるアタシ。アタシ一人といふ立場ではこの被曝と癌を甘んじて運命と思へたりもする。先考が晩年、放射線による癌治療のなかで「放射線をどれだけ浴びてゐるか、これで癌になりそう」と苦笑してゐたこと、ふと思ひ出す。それでも社会全体で考えると人間がウランなど弄ぶことで放射線被曝を(それは自然でもあることとはいへ)徒らに被曝量を上げることは間違つてゐるだらう。だから前記の説明も「個人的には0.5%の発癌率上昇は問題ないと思ふが社会全体として皆で0.5%でも被曝量が上がることは避けるべき=原子力弄用に一切反対」と言ひたい。
▼今日、市街で初めて警察が取り締まりに躍起となる“Who's afraid of Ai Wei Wei?”の落書き見かけました。