富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-04-17

四月十七日(日)曇。今日も休み無しで官邸にてご執務。午後から雲行き怪しく夕方に大雨。落雷。黄色の集中豪雨警報も。ずっと天気良かつたが遅ればせながら香港の春が到来か。陋宅にて晩は白身魚のソテと今日Z嬢が仕入れてきた有機の野菜を無水鍋で温野菜にして塩胡椒で食す。飲み残しのDog Pointの08年とSancerreは当然ながらでSauv BlはPaul Vattanの08年。久々に地味に白身魚を牛酪でソテにて温野菜はしみじみと美味。これだけあれば至福。本を読む積もりがYouTubeで「ビートたけしの学問ノススメ」見てしまふ。
▼香港の市街地あちこちに描かれる“Who's afraid of Ai Wei Wei”の落書き。警察は軽犯罪とはいへ逮捕も辞さず、といふが積極的に艾未未の解放求める活動続ける少女たちの一群をり「あの落書きは私たちが」と公言するかのやうな堂々とした活動ぶり。「塗鴉少女」と呼ばれる。
自衛隊の諸君が震災救援の激務で疲労困憊。派遣されてゐた隊員が脳出血で死亡も過労が原因か。被災者支援だけならまだしも家屋倒壊の瓦礫除去や死体処理、埋葬など困難な役割多く過酷な現場なのは十分に理解。たゞ、ふと気になるのは戦場など戦闘などこんなレベルぢゃないだらう。とすればこんなことで過労といつてゐては軍事に対応できるのか、と。だが更に考へると軍事活動の方が暴力が合法的に許される超法規的なルール下で(仙谷君のいふところの暴力装置)敵がゐて敵を攻めるなり守るなり攻防のゲーム性あり死に直面するが人間にある暴力性の野性本能の発揮があると思ふと精神衛生上は未だ良いのかもしれない。勿論、戦場で気が狂ふ例もあるが米軍にとつての越南戦争など本来、米国の青年にとつては何ら関係のない国家的戦略に組み込まれただけで、そこで自分がいつたい誰を敵に何をしてゐるのか……と考へたら自分の農園がインディアンに襲はれることに銃で応戦する(あーあ……)なんてのに比べノイローゼは必至。それに対して津波で壊滅した市街地の瓦礫撤去や死者の弔ひなど軍事行為に比べ余りに気持ちのやり場のない行為。軍事とは異なる疲労感の累積があるのだらう。
大阪都、って呼び名、橋下だから仕方ないがセンス悪い。音韻が「大・坂戸」。東京都は「京都」があつて東の京で東京(とうけい)で東京府(1868〜1943)経て東京都になつたが音韻が良い。大阪都は絶対に悪いので寧ろ(戦時中の翼賛体制で「都」になつた)東京都を東京府に戻せば?