富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月十一日(月)晴。今日は気温三十度まで上がる由。中上健次全集をば読破しよう、と数ヶ月前に大学図書館で第一巻目借りたが一頁も読めぬまゝで二回目の貸し出し更新が今日で一先づ諦め返納。情けない。今日は何人もの(石原が云ふところの)支那人の知己に「石原がまた都知事だね」とお悔やみ?呟かれる。石原慎太郎が似非右翼の精神分裂した虚言癖ある一兵卒なのは誰彼もが知つたことで今更驚きもせぬが何故に石原を「都知事に推さなければならないのか?」が支那人的には理解不能。アタシも一応、東夷国の一民草として「対抗馬がゐなかつたことが石原四選の主因」と言ひ訳してみせるが内心、仏蘭西ではLe Penの勢ひに左翼すら「鼻をつまんでもシラク」に投票で極右当選阻止したわけで、そりゃ墺太利でも極右が政権担つたりするが墺太利瑞西なんて国はすでに「国のかたち」確りしてゐるから極右だらうが緑の党だらうが左右誰彼が首班になつても国のかたち揺るがぬが日本のやうな<似非近代>の国家、社会では民度低き民草が「土井さーん」「村山っ!」「小泉さーん」「石原っ!」と節操無く声援送るから。で石原を好しとせぬ都民も少なくないはずで対石原の対抗馬をば推すべきところ「青島だぁ〜!」のとッとと逝つてしまつた(石原より更に最悪の)戯作者をば都知事にしてしまつた大きな勘違ひの寅馬か、真っ当な対抗馬ないから、とおひそれとトリックスターをば都知事に担げぬ心労もあり。ともあれ支那人的には「それでも何故に石原なの?」と石原なんてどーでもいゝ愚者云々でなく「石原を推した日本人」に悲しみを感じ得ず。本当に石原をば厭ふなら(信濃町の池田さんならぬ)代々木の小池さんをば反石原統一候補にしてでも石原四選拒否の大同団結も出来たはずで、結局、支那人が悲しむのは石原のあの言動を東夷の皆さんは許容できてしまふのですね、といふこと。あたしらは日本が好きなのに、どうして日本の友だちたちが「あんなのを都知事に出来るの?」が理解できず。アタシもどうせなら石原に投票した都民は金日成ならぬ石原バッジでも胸につけて反石原の人は黄色い腕輪でもして新橋ガード下の飲み屋でも「席を同じふせず」、国電も同じ車両に乗らぬくらゐ徹底的に対立してゐたゞきたいところ。居酒屋ワタミ築地市場は石原バッチつけてゐると入場お断り、とか。でれ/\と石原をば都知事に出来てしまふやうなところ、民主党だらうが自民党だらうが、どーしようもない愚人をば何代にも渡つて首相に出来てしまふ、で結局は陛下のお言葉に甘んじるしか拠り所なき、このあまりに情けない「日出ずる処の東夷」の体たらくが支那人ばかりか朝鮮人にもベトコンにも南洋の土人らにも理解能はざるところ、だらう。今日、数名の支那人と日本の核禍の話になつたが先祖代々の土地に残ることも大切だが支那的にはこゝにゐても仕事も生活の糧も口に糊することも能はなければご先祖代々の土地に佇んでゐたらご先祖様に「お前はアホか、はよ何処か逃げなはれ」といはれるのではないか、と。一族郎党にとつて危険な場所に残るリスクよかリスク回避でどこか安住なる地に移ることこそ大事。東夷国では核禍にあつても土地を一旦捨てゝ他所に移住などしたら「もう二度と地元に帰れない」だの「まだ残つてる人もゐるから」で避難せぬ方々も少なからず。だが支那的には海を渡れるなら渡つて華僑として成功し郷里に凱旋するなり投資するなり、で果報者と誉められる、と。御意。みんなでこの苦難乗り越えゼロからまた立ち上がらう、も立派だが故郷を敢へて捨てゝまで、が逃亡でなく郷里をば俺が豊かにしてみせるぜ!の精神、角栄さんのころまでは日本でも普遍であつた気がするが何時から東夷国はこんなにもニューミュージック的な似非近代になつてしまつたのかしら……近代市民革命も経ぬまゝ今日に至つてしまつた悲劇、なのだが。

中上健次全集〈1〉

中上健次全集〈1〉