富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-02-01

二月朔日(火)晴。昨日ほど気温下がらぬがそれでも摂氏氷点下三度の朝。厳寒と承知で先考が生前着用のカシミアの厚手の長外套をば着てきたが勿論、暖かいが重く脱ぐと扱ひに困るやうなもので母に今どきこんな厚手のコート着てゐる人も珍しい、膝上が流行、と母にいはれ確かに香港の陋宅の狭い収納場所でこのコートだけでどれだけ扱ひに難儀するか、もう冬物は安売りだから、と母と一緒に開店と同時に百貨店へ往き膝上の、確かに羽毛のインナー外せば春秋も着られるゴアテックス、完全防水の、それなりにフォーマルなコート購ふ。コートといへば、で三陽商会で昔、長嶋茂雄もテレビでCMやつてゐましたなぁ。Z嬢を母と駅でお出迎へ。真言宗豊山派神崎寺。先考の早いもので七回忌がこの三月で先だつてに掃墓。自動車走らせ笠間に往き山間の三之助なる蕎麦屋に昼を食す。自家の蕎麦畑で育てられ厳選された蕎麦粉。大工であつたご亭主が古民家の廃材をば利用し三年がかりで建てられた店も素朴で味はひもあり。笠間市内に戻ればもうすぐ節分だといふのに笠間稲荷周辺も閑か。日動美術館に寄らぬまゝ佐白山のとうふ屋(こちら)。豆腐のドーナツは試食なのに澤山あり親切。豆乳のソフトクリーム。水戸見川の佐川文庫(こちら)。1984〜93年にかけ水戸市長を務め水戸芸術館創設の所謂「市民派」市長であつた佐川一信氏(1940〜1995)記念した氏の蔵書や音楽コレクションなど基にした文化施設*1小澤征爾中村紘子吉田秀和といった方々も佐川氏の生前の懇意。市民の政治参加と理念実現は氏の急逝で志半ばに終はつたが、もしかしたら茨城県知事から国会へ、で今どき民主党で領袖の一人だつた加茂*2。のんびりと夕方を過ごし母とZ嬢で某オイスターバー。白葡萄酒ごく/\で生牡蠣を一打半。妹も来て牡蠣のグラタンとカキフライ、の牡蠣づくし。東京に戻るZ嬢を駅まで送る。晩に花村萬月「夜の光」読む。
澳門賭博老人一家の財産騒動はビデオ合戦。「晩節を汚す」とはまさにこれ。

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*1:水戸芸術館は素晴らしい施設となつたのはまさに箱モノ行政とは別段の佐川氏の発想の見事さにあつたことは佐川氏追悼集で芸術館の設計にあたつた磯崎新氏による回想に詳しい。ただ残念なことは磯崎先生が伝へる佐川市長の言葉に「芸術を表現する文化施設が取り囲んでいる西欧都市の市民が行き交う広場の情景」といふのは残念ながら芸術館こそ完成し始動しても肝心の市街の繁華街がバブル崩壊後に完ぺきに崩壊してしまつたことで素晴らしい芸術施設も都市の廃墟に孤立するのが現実となつた。

*2:1993年に当時の現職知事(竹内某)のゼネコン汚職、逮捕、知事辞任で県知事選に立候補のため市長辞任。この竹内某が建設省OBの官僚で佐川は市民による政治を訴へたが知事選の相手は自治省出身の橋本昌で自民、新生党新党さきがけ日本新党が揃つて橋本を推薦。まさに佐川は自民党と今の民主党を相手に選挙に臨み僅差で敗北。その二年後に急逝。かりに当選すれば「たられば」だが佐川の政治的カラーとその後の政党再編で民主党が佐川に近寄つたであらう。