富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-01-24

一月廿四日(月)地唄舞の文兄と久が原のT君より新宿東口地下のベルク(こちら)について地権者による立ち退き請求とそれに対するベルク側の立ち退き拒否について聴く。ベルクはアタシが東京に住んでゐたころにはまだなかつたが、もう老舗。あのあたりはアタシにとつては東口地下街といへば昔は「王様のアイデア」だつた。ベルクは久が原T君に教へてもらひ頻繁に通る西口地下で気軽に麦酒一杯できるのが嬉しいところ。たヾ一応は禁煙してゐるアタシにはあの狭いなかで煙もう/\は閉口したが気取らぬ雰囲気が好き。「青蛾ならぬベルクが」と叫んだ文兄はベルクがなくなつたら西口の「ピース」*1が新宿らしさの最後か、と。御意。アタシにとつては新宿はRといふ照ちゃんのやつてゐたバーが好きで、昭和の頃は常連だつた時期もあつたが当時はかなりの賑わひで(女性客は「ワハハ」関係も多かつた印象あり)坐る椅子すらなく難儀。それがすつかり街全体が冷えてしまつて香港からたまに東京に戻ると深更に一人でぶらりと訪れれば「おかえりなさい」と迎えてくれたのが何とも嬉しかつたが営業的には閑散としてしまつて去年、閉業。そんななかベルクのやうな新宿らしい店が駅ビルの地下にあり朝から夜までバラ/\の客層で賑はふ「雑さ」こそ新宿らしいがアルタが西口地下の管理者となりJRの意向あつてだらうがファッションビルとして飲み屋はそぐわないので立ち退け、と。ベルク立ち退き反対の署名はこちら
▼拙ない日剩繙いてゐたら一昨年八月末の政権交替で

その歴史的敗北を目の当たりにして、それぢや自民党崩潰が嬉しいか、といふと複雑な気分。戦前の独逸でもワイマール体制の崩潰とか、日本では対米戦争開始での知識人の間での近代の超克観・感であるとか終戦での「新しい日本」の始まりとか、改革へ向けてのなにか祝祭的な開放感に包まれる社会が、実は悲劇的な結末への序章であつたりする(終戦での「新しい日本」は米国庇護の下、奇蹟的なやうにその体制がずつと続いてはゐるが)。

と、あれだけ自民党嫌つたアタシが自民党敗北=民主党政権獲得を素直に喜んでおらず。不幸にも不安が的中かしら。このまま民主党への期待感が絶望に替はり、それぢゃ自民党の政権復帰も望めないと思ふと横浜、大阪、宮崎あたりからワケのわからぬ首長上がりのヘンなポピュリズムの政治家が現はれ愚民の支持を得て……まぁすでに都知事で(一度ならず「青島だぁ〜」から二度も)大チョンボを経験してゐるのだが、どうにも暗澹たる近未来しか想像もできぬのは昨日、ちょっと「菅相丞が生で出演して話題となつた」ビデオニュース・ドットコムですら宮台真司神保哲生青木理、萱野稔をゲストに迎えても四人で「これは拙い、あれは間違つてゐる」と論じたところで何ら具体的なテーゼも呈せぬのを目の当たりにしてしまつたからなの加茂。
▼香港で過激さ売る社民連で数百人の支持者を集め非主流派となつた黃毓民、陳偉業が二百人の署名集め200人率いて社民連を離党。立法会に残る社民連の議員は梁「長毛」國雄君一人。政改に関し民主党から社民連まで野党の間で政府と妥協案結び多少なりとも改革求める穏健派と徹底的対抗叫ぶ原理派が仲違ひ。政府・北京的には有り難いところだらう。社民連は2006年に結党。08年の立法会選挙に黃毓民、陳偉業、梁國雄の三名が当選。番狂わせ的な過激政党の三議席獲得だつたが昨年の政改で民主党が政府妥協案を採つたことで民主党に不満の反政府系の市民の支持が更に社民連に集まり「八十後」の若い世代も社民連支持少なからず。今年の区議会選、来年の立法会選挙でも下手すると反政府世論と八十後の支持で勢力拡大か?と思はれてゐた矢先の分裂で真相は如何に。
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*1:小田急ハルクの一角にある店子の喫茶店だが、まるでハルクとは別の地権者の如き独特の純喫茶。