富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-01-22

一月廿二日(土)何も用事もなき土曜日ながら悲しいかな午前五時半に起きてしまふ。午前から湾岸を小一時間走りジムで一時間の有酸素運動。今週は突然アスレチックな生活。昼過ぎ帰宅して昼食採らぬまゝドライシェリー酒一服。中環。FCCのバーで日がな午後、週末の新聞読み。夕方、鏞記のまへ通りかゝりさういへば春節近し、で蘿蔔糕(大根餅)あるのかしら、と寄れば一日五十個限定の由。そりゃダメよね、と思ひつゝレヂで「あるの?」と尋ねればレジ嬢(といふには聊か年増)が「あり〼よ」と。でお勘定すませ売り場へ移ると売り場のオヤヂが「売り切れなのにレジ打つなよ」とレジに向かつて怒鳴り声。するとレジが「取りに行つてゐるから」と。どうやら飛び込みながら見知らぬレジ嬢にもアタシは常連、と見られた由。で樓上からオバサンが届けてくれて、で蘿蔔糕一箱ゲット。若ければ相手にもされぬわけで年をとるのもかういふときは悪くない。上環まで漫歩。実に百年ぶりにCafe Nirvanaに寄りステラアルトワ二杯。香港では伝説的老舗のパブ。近くに往つてもここ十数年なか/\寄る機会なし。ご亭主がもはや老眼で新聞読み。相変はらず風流な客少なからず。あまりに北京人のR化音の青年二人が大声で談義に思はず聞き耳立てるが実に頭脳明晰で心地よい北京官話に暫し聴き惚れる。帰宅して昨晩に続き鍋で湯豆腐。キクマサ。午後九時就寝。
▼さきの台湾統一直轄市首長選挙で国民党・連戦の息子が銃撃された件。どうも阿扁の二期目の総統選での「疑惑の銃弾」あり僅差での国民党勝利に「また今回も?」と思つたがこのたび銃撃犯が検察により提訴され、その選挙活動さなかの映像など公開されたが(こちら)、こりゃ確かにマジだらう。狙撃犯が私怨ある候補者を狙つたが間違つて年格好酷似の連戦の息子をば誤つて撃つたのも偶然なら連戦の息子も本当に僅か数mmのズレで銃弾が脳髄に至らず、の奇跡的軽症。だが、まぁ強運だつたが悪いが「これで運も使ひ果たした」で、どうみても二十年後に国民党の総裁候補となるには木偶の坊。むしろ、この狙撃犯がまた瞳さんの居酒屋長治の役がニンといふ感じの村松友視のやうないゝ男で渡世はやはりなか/\のもの、で刑期終へ政治の世界へ、で立候補もあり加茂。
▼米国社会史研究の猿谷要先生逝去。享年八十七。お会ひしたこともないが、もう数十年前にアタシが大学生で中国放浪のバックパッカー旅より戻り昔懐かし朝日ジャーナルの読者欄に投稿は、旅の途中で欧州のバックパッカーらが各国の在外公館をまるでサロンの如く使ひ郵便の受取りから珈琲一飲、欧米の新聞読みまで寛ぎぶり十分。当時は当然、携帯電話もネットもなく在外公館は彼らにとり重要な拠点。アタシも英国人のT君と北京で仏蘭西だ意太利だと大使館の領事部で寛ぎ「こんなことも出来るのだ」と一ヶ月後に滞在予定の上海の日本の総領事館に実家や知己の方に何かあれば手紙で、と言付けた次第。で上海で日本の総領事館訪れ「かく/\しか/\」と告げると外務省の職員の「貴様、何者だ?」の怒濤の如き罵声に一喝され「あんたたちのやうなフラ/\旅行する人たちのおかげで当方がどれだけ迷惑被つてゐるか」と苦言され呆れるまゝ総領事館の建物を辞すと現地職員のオバサンが当然流暢な日本語で「申し訳ありません、なにかお役に立てることがあれば」と。この外務省の小役人のあまりに礼儀知らぬ態度にアタシは帰国後、朝日ジャーナルに投書。それが掲載されが翌週号だつたか村上陽一郎先生からアタシこそ不躾けと猛烈な非難の投書あり。突然の科学史の大家からの反論にアタシも驚いたが更に翌週だつたか、そこに「いや、この青年の態度はそれほど悪くもない」と反・反論されたのが猿谷先生。アタシは中学のことから落語を齧つてゐたのでこの猿谷先生の投稿読んだときに早大興津要先生だと思つたのも正直なところ。結局この投稿はそのアトに外務省の領政部門から外国に渡航中の邦人が在外公館を利用して郵便受け取つたりの便宜供与はあり何らかの不都合もあつた加茂しれないが……とお役所的な掲載あり終焉。猿谷先生とは直接は何もなかつたが陽一郎先生にはアタシが手紙を認めると実に達筆なきれいなブルーブラックの万年筆のインキも美しい書状が届きアナタの気持ちも解るが初対面の相手とは(相手がどんな失礼な態度であれ)やはり仁義を切るような礼儀も(自分の要求を通すためには)必要で……と今になれば納得の御説賜る。メールも携帯もない時代の今にして思へばじつに長閑な時代。

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富柏村写真画像 www.flickr.com/photos/48431806@N00/
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