富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-11-04

十一月四日(木)午後から久々の雨。小雨だが、こゝ二週間ほどの乾燥で市中、埃つぽく雨は幸ひ。雨でまた少し肌寒くなる。かなりバタ/\と夕方出先を回りFCCに辿りつき独酌。麦酒一杯。バーでは何だか会合ありラウンジに避難してゐたが三人だけでも賑やかな客に更に遠方より友来るで四人となり、すると更に一人。このラウンジはQuiet Roomの別名あり「お静かに」と表示もあり倶楽部の規則で四人以上はお断り。アタシらもかつてそれで五人だつたかで断られ、メンバーはアタシとZ嬢で二人ゐるしテーブル別れ騒がぬから、と言つてみても「規則ですから」と強く拒まれ、更に一度はラウンジ室内に他の客がをらぬのに、やはり五人はダメ、と。規則は規則で仕方がないが今晩は五人目が入つて来ても給仕が断りもせず。で給仕に外で「規則違反ではないか、アタシらはかつて断れ不公平」と伝へたが「五人目は隣の卓に腰掛けてゐるから」と給仕。それもダメなはず、と指摘するが埒あかず。給仕は恐る/\規則集を、このガイジンらに見せるがガイジンは一瞥して Thank you で平然と無視。この態度にもかなり頭に来てアタシは受付の職員にも言つたが見に来て給仕とこそ/\と話すばかり。ちょうど旧知の支配人が通りかかつたので「なんだい、あれは」と指摘して「西洋人(Gweilo)なら文句も言はずに尻込みし、客がアジア人の時だけは強行に規則を持ち出すのか。不公平だと思ひませんか。そこまで諂ふのは植民地根性ですか?」といふと支配人は「四人が規則だが五人までなら受け入れる」と謝るやうに云ふが言い逃れも明白。かつて、それで断られた、と言ふと「その時は申し訳なかったが今はこうしてゐるし……」と弁明するので「それぢゃ次回、もしアタシらが黄色人種で五人だつたら入れるのね?」といふと「大丈夫、大丈夫」と。ひとまず「大変だよね、客あしらひは。あんな我が儘な客もゐればアタシのやうな頑固者もゐて」と支配人とは笑つて話は済ましたが、もし次回、これで断はられた日にはエコ/\アザラク、でSCMP紙に投書し香港政府の平等機会委員会に提訴も辞さず。地下鉄で尖沙咀。昨晩に続き The Oneの映画館で映画“Identity”見る。勝手に(普段、あまり見ることのない)韓国映画と勘違ひしてゐたがインドネシア映画。Aria Kusumadewaといふ監督。貧民區の大きな公立病院で遺体のお清め処理で糊口凌ぐ主人公の中年男性。男は、この貧民窟に住まふが自宅には沢山の札がぶら下がつてゐる。これが何か、といへば遺体に付けられた死体認識カード、で男は遺体を処理するたびに、その認識カードを部屋に掲げ、せめてものお弔ひなのか、狂気的蒐集か。かなりエグい男だが患者の中で貧困で病身の父の医療費工面するために街角に企ち淫売する娘あり、この男は医療保険の請求だけでも、と手を差し伸べるが父と娘が正規のIDなき流民であることがわかり男に出来ることは父を苦しみなくあの世へ旅立たせることくらゐ。そこに……とこれ以上の筋書き綴るは避けるがアタシがほとんど見たことのないインドネシア映画で、これも新潮流かなか/\考へさせられること多き社会派の筋。この男を中心とした病院での生と向き合ふ生業の他、この父と娘の非業、再開発迫られる貧民窟と政治選挙の絡みも面白い。夕食とつてをらず晩十時過ぎにThe Oneの裏から厚福街に入ると旺角の樂園牛丸の支店あり牛丸米線を食す。かつての小汚い旺角の樂園懐かしんでも、もはや無い物強請り。食後、厚福街の路地を出てくると角に焼き栗売りの男あり。あっ、と思へば尖沙咀佐敦界隈では馳名の「心和號」の屋台。でオヤジも元気。香港の冬の風物詩。

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