富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-11-02

十一月二日(火)早晩に銅鑼湾。散髪。少し髪型変えようか、と思つたら提案されたのが鳥肌実。うーん、と思つたが意外と良い鴨。Z嬢と韓国料理。チゲとビゝンバ食す。ヴィクトリア公園で猫を愛でZ嬢と別れ路線バスで油麻地。さういへばZ嬢などといふ表記は田中康夫氏の受け売りだが康夫ちゃんはW嬢とついにご入籍の由。ペログリ日記で十月上旬に札幌でW嬢の両親とお食事、と珍しい記述あつたが、これか。Cinemathequeで映画「目送1949 - 龍應台的探索」を見る。台湾の作家・龍應台をアタシが初めて認めたのは蘋果日報日曜版で龍應台がドイツだか留学中の息子との往復書簡の連載が暫く続いた時で大江健三郎&光と同様に親子の文学的世界に入りきれず読まずにゐたが1949年を機軸に中国の悲劇、殊に大陸から台湾に渡つた国民党の若衆らの歴史の口実筆記まとめた「大江大海一九四九」当り「あ、あの母子作家か」と「大江大海一九四九」購つたがついぞ未読のまゝ。この映画はまさに「」の映像版。たしかに1949年から60年余、当時二十歳で八旬と思へば今、彼らの口実筆記してをかぬと歴史に残らず貴重な仕事。たヾ台湾で生まれ育つた龍應台自身が外省人で、この歴史物もとても外省人的で台湾では内省人的には今ひとつ琴線に触れぬかしら。たヾ抗日戦争勝利のあとの大陸での国境内戦がどれだけ悲惨であつたか、南京虐殺以上の命が奪われ、殊に映画の最後の方で語られる長春満州時代の新京)の公算軍による兵糧攻めに遭つた長春の悲惨さは、四半世紀以上前にアタシが長春を訪れた頃には語られることすら憚れた史実で言葉も無し。上映後に龍應台本人とのQ&Aあつたが「作者が語る」が苦手なアタシは当然その場を辞す。龍應台といふ人もアタシにはよくわからぬが少なくても曾野綾子や塩野刀自の如くナショナリズム的に道徳訓など垂れぬ事だけはまだ幸ひか。
▼話は旧聞に属すが上海万博終演。「五つの世界一」達成ださうで
・入場者数7,300万人(大阪万博が6,422万人)
・1日の最高入場者数103.3万人(大阪万博で83.6万人)
・189カ国、57個の国際組織が参加(2000年のハノーバーが参加国、組織の計177)
・ボランティア数220万人(2005年の愛知万博3万人)
・面積5.28平方キロ(愛知万博が1.7平方キロ)
他にも、初めての発展途上国での開催、新都市開発、ネット博、最大都市開催、入場券にマイクロチップなど初づくしの由。まぁ、そりゃ良かったね、としか言いやうなし。
▼「国語とは陸海軍を備えた方言である」と昨日の朝日・天声人語が「引用」。引用であれ今の天声人語で「確かに」と思ふほど立派な事が書かれることも稀。


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