富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

石澳龍脊に月見

fookpaktsuen2010-09-23

八月廿三日(木)夕方、筲箕灣に知己の者で集まり毎年恒例で陰暦八月十六日の月見で石澳龍脊。福建を通過の台風は台風一過の晴天どころか曇天続きで昨日はまだ小雨こそあれ雲が流れてゐたが今日は厚い雲に覆われ月見は期待できず。それでも古への人は中秋に雨が降れば雨月、月が雲に隠れゝば無月と楽しんださう。更に今年は18年ぶりに月が地球から遠く小さい月なのは昨晩、確かにその通り。で龍脊に上がり日暮れ宵がおとずれても東海の雲原に月の影すら映らず。しばらくしてもう六、七年毎年この八月十六にこの場所から月を愛でてゐるアタシが「あ、あのあたりに月が」といふが他の誰にも見えず。だが勘は正しくぼんやりと朦朧のなかに月があらはれ晴れはせぬがひとまづお月見。筲箕灣に下り毎年恒例で越華會に粤菜を食す。
▼中文大学の蔡子強氏が尖閣諸島の領土問題に合はせ興味深い中国の領土政策を紹介(明報)。蔡先生が紹介するのは黄文放(故人、元新華社香港分社台湾事務部長)*1の「中国対香港回復行使主権的決策歴程輿執行」なる書籍の記述。1974年に葡萄牙の政変で新政権は全ての海外植民地の放棄を政策に。マカオも中国への主権返還を葡政府は中国に提案したが中国側は葡政府と協議の上、

  1. マカオは中国領であり主権は一貫して中国政府にあること
  2. マカオは歴史的に問題を遺留してゐることの認識
  3. 適当な時期に中葡両国政府が問題解決の談判
  4. 問題解決までは現状維持

に合意。葡政府のマカオ主権返還にすぐ応じなかつたのは対英の香港主権問題が次に控へるからで葡萄牙の出方をそのまゝ受け入れると香港も現実に主権行使する英国に主導権握られることが懸念されたため。マカオについては葡が主権返上を請ひ中国がそれを受け入れることで主権回復について中国主導(葡萄牙はほとんどそれに干渉せぬ)となる。香港は新界租借が残り18年で切れる1979年にMcLehose総督が北京に出向いたが鄧小平は先づは時期尚早として協議を先送り。その後、英国は政府要人を次々と北京に遣るが、香港の主権は中国として英国が引き続き統治するやうな折衷案を提示し中国側はそれに当然、合意せず。マカオのやうには英国側の譲歩を引き出せぬまま1981年4月に鄧小平が通達で中国が香港の主権回復に中国が実力行使も辞せぬ態度で望むことを表明。その後の中英交渉は知つての通り。で尖閣諸島問題は、1978年に鄧小平が副首相の立場で訪日の際、首相の福田一世と会談するなかで尖閣諸島問題については解決の先送りを言及、その翌年、訪中の鈴木善幸who?に主権問題の解決は先送りするが(中国側の主権は主張)日中共同開発を提案。ようするに主権問題を暫時「そのまゝ」にしてをけば日中間で問題が生じぬところ、日本の、海上保安庁が燈台修復し右翼団体はそりゃ「民間」だらうが神社建立企図し海域侵犯で中国漁船船長が拿捕され自然保護区指定で「国有化」強化……といつた一連の行為は、かつての貢朝モードの葡萄牙や、協議の門戸を閉ざし北京に同調はせぬまでも香港主権維持に強攻策は一切とらなかつた英国に比べ、日本のこのやり方は唐突、それまでの「領土問題は棚上げで共同開発」といつた「模糊政治、緩兵之計」が有用ではないか、と蔡先生。

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*1:黄文放は1982年1月に北京で検討始まつた香港主権回復に関する担当小組(わずか五名)の一人で、この組長が魯平で具体的な政策決定は廖承志がその任に。