富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-09-12

九月十二日(日)雨が夜半にようやく止む。珍しく午前七時くらゐまで朝寝貪り宿から路環まで散歩。Lord Stow's Bakeryでクロワッサン贖ひけして風光明媚でもなければ磯風が心地良くもない湾岸のベンチで朝餉。宿に戻り昼まで部屋で寛ぎ読書。天気はかなり好転し(すぎて)ひざしも強くなるなか荷造りしてチェックアウト。あそこで食べてみようか、とZ嬢といくつか案も出たが結局、今日もタイパでXiolas氏のCastiçoに行くことに(念のために断つてをくがこの料理屋はけして珍しい美味い料理が供されるわけぢゃない。普通の感覚でマカオ葡萄牙料理を楽しもうと思つて訪れたら失望するだらう)。ふだんからメニューにある料理が揃はないが今日は日曜なので昨日から仕入れなどあるはずもなく料理は昨日「これと、これと」と示されたものの、さらに売り切れていない食材だけしかないのは覚悟。昼も正午過ぎですでに数人の常連たち、葡萄牙系の山口瞳阿佐田哲也吉田健一がそこにゐる。そんな常連の一人に「やぁ」と挨拶され、なんだか少し嬉しいやうな、もうピノキオやダンボ、鶏(ガーロ)やアントニオ(あ、これはディズニーや動物ぢゃない、オーナーシェフだつた)の現世といふか俗世からはだいぶ彼岸に来てしまつた感、あり。皆、だんまりを決め込み、じつと独酌するばかりで「料理長」はまだ来ておらず。このパターンだと料理長は二日酔い、不機嫌。想像通り。昨日の陽気さとはうつて変はつてアタシらに挨拶もせず。ウェイトレスに「今日は何か昨日と違ふ料理はあるの?」と小声で尋ねると料理長の方を隠れて指さし巫山戯て睨んでみせる。ようするに昨日も酔つてしまつて仕入れも仕込みもしてゐない、と言ひたげ。今日は軽く、で食事し始めるころに雲行き怪しくなりじきに黒雲が空を覆ひ盥をひつくり返したやうな大雨となる。が雨を厭ひ店の軒先に雨宿りした「いかにも」米国人四人組が入店。うち三人がけつこう美しいお嬢さんで料理長はとたんに陽気になりZ嬢が注文するデザートもあれこれと勧めるは、料理を供し終はると果樹酒のボトルを持つて来てお振る舞ひしてくれるは、のやんちゃぶり発揮。客が綺麗だとこれか、と呆れるZ嬢。大雨のなかフェリーの時間もあるので店を出るが食材贖ふのにスーパーに寄るのも厭はれる大雨。ちょうど来たタクシーでそのまゝフェリー乗り場へ直行。予定より一時間早く香港に戻る。香港もかなりの雨模様。帰宅して荷物片づけたたり雑用済ませ晩に尖沙咀銅鑼湾のヰンザーハウスにあるライカカメラなど扱ふL&H(仕宏撮影器材)がHumphreys街の路面でかなりの間口の高級カメラ店を開店したのを偶然、通りかゝる。ちょっとライカサロンのやう。ライカM型のカタログはもうカメラ本体はM9だけなのね。M7もMPもいつのまにか製造といふか新規の販売中止。M8は当然のやうに消える。ライカやハッセルで商売になるのかしら?と賃貸の高さで気になるが店側もちゃんと反対コーナーはニコンオリンパスの売れ筋並べ、こちらが実質的な主力なのだらう。香港科学館。アタシには珍しく韓国映画で김씨표류기(ハングルで文字通り「金氏漂流記」英題はCastaway on the Moonを見る。この映画の次に掛かる邦画「家族ゲーム」見ようと思つたが21:45上映といふ遅い、しかも日曜晩の尖東といふ状況で、そんな時間に独り尖東に向かひたくない、といふわけで、その映画の一つ前にあつたこの映画をあまり内容もよく知らぬまゝ選んだのだが、科学館で九分入りは立派。そんな面白いのかしら?と期待したら期待よりずつと面白い。ソウルの市街地を舞台に、こんな漂流記と冒険、孤独とそれからの脱出を描けるなんて。物語の筋は書いてしまつたら面白くないので省くが、物語の発想とモチーフ、冒頭からの展開がとても面白い作品に限つて、それが息切れしちまつて途中から筋の展開が散漫、ぐちゃ/\になつたり収拾つかず空中爆発して木っ端微塵の作品が少なくないから、この映画も見てゐてかなり面白いのだがアタシは途中から「どこまで大丈夫かしら?」と心配が笑ひに先行する。我ながら損な性格。で最後大詰めになればなるほど「最後までこれで突っ走ってくれ〜!」と手に汗握つたがアタシの期待に十分に応へてくれる。出来過ぎなのだが映画はフィクションなのだから出来過ぎ大歓迎。面白ければ全て好し。科学館近くの讃岐うどん。で森田芳光監督の「家族ゲーム」見る。三十年ぶりか、と思つたが1983年の作品でまだ辛うじて27年前。松田優作の家庭教師に伊丹十三由紀さおりの夫婦、宮川一朗太と出演がこの一作だけとなつた(小津でも何でもさういふ子に限つて印象的な)辻田順一は印象に強いが、先づこれがATG映画であること、英語教師が松金よね子団地の近所の若い主婦が戸川純、チョイ役の若い教師が清水健太郎松田優作の恋人といふか年上のレコが阿木燿子とは記憶にない。1980年代といふバブルの本来、明るくあるべき時代に、こんな、まるでその後(今もつて続く)病理的な日本の家族の脆弱さをこれだけ確実に描いてゐたとは……原作からして改めて見事、と思ひつゝ、この家族やその地域社会、さらにはその社会に反発するやうでゐて全くもつて自立もなにも出来ずにゐる家庭教師(優作)にせよ、本当にこれだから日本はダメ、の典型で而も何らそこから脱出できる得策もない悲劇。まさに悲劇の映画。だが、さうしたダメさすら(大作さんぢゃないが)「人間革命」なんて叫びもせず、たヾ映画でさらりと描ゐてしまふとそれでお終ひ、が文芸でいへば自然主義から私小説に至る日本の極意なのか……。どうであれ雨のしと/\降る日曜の晩に香港の市街地にしてはやけに人も疎らな尖東で見るには(その予感はあつたが)寂し過ぎ。ところで「家族ゲーム」のロケ地は東京の湾岸で木場から有明。当時はあまりに殺伐とした風景だが、もう今は湾岸の開発でかなり様相も一変してゐるのではないかしら。結局さうした景色の様変はりで孤独や病理も隠してゐるのだけど。
911の追悼。紐育。紐育とペンタゴンの死者は気の毒だがブッシュの「テロとの戦ひ」で中近東での地元民どころか米軍兵士の死亡が911よりどれだけ多いか。紐育とペンタゴンで亡くなつた米国市民は、そのテロリストも憎みつゝ復讐戦で自分たちの死がまさに無辜にされることに憤りを感じてはゐないかしら。アラブやアフガニスタンのテロを憎むのは米国の自由だが、それ以上に母国が何を、どれだけ惨たらしいこをしてゐるのか、に気づくべき。こんな国が世界を牛耳つてゐるのだから世の中、平和になろうはずもない。


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