富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月六日(月)早晩にハッピーヴァレイ競馬場の場内で小一時間走る。明後日がこの競馬場での今季初戦で芝の育ち具体を確かめ……と言ひたいが競馬はすつかり国際G1の時ばかりでハッピーヴァレイの競馬なんてもうずつと来てゐない。TVBで「香港築跡」なる香港の建物と生活史の番組(こちら)あり偶然に一昨日訪れた蘇屋邨と華富邨の公共団地の特集。これを見る。晩七時のゴールデンタイムに民放でこんな番組を放映するのだから日本の低俗なテレビ局は見倣ふべき。藤森先生の「日本の近代建築」の下巻読み始める。歴史は伊東忠太の時代に。大谷光瑞の二樂荘(忠太の設計)につき「この極楽浄土のような別天地で光瑞は門徒の中から集めた眉目秀麗な青少年と起臥を共にしアジアに雄飛する日にそなえていた。」といふ逸話を藤森先生が本来の近代建築史の筋とは関係ないが挿してゐるのも興味深いところ。忠太の建築のアジア主義国粋主義的な帝冠式とぎり/\どこで線を引けるのか、分析が面白い。ところで香港のかつての日本人火葬場と墓地(掃捍埔)には大谷光瑞師が1919年に来港の際に建立の萬霊塔あり(写真左上、現在はハッピーヴァレイの墓地に移設)。写真右手の建物は火葬場だが(設計者不詳、現存せず)かなり印象的な門構え(車寄せ)で日本の伝統的建築とは異なり寧ろ築地の本願寺(忠太)のやうな印象をアタシも最初にもつたが、ふと思へば光瑞と忠太の親しさなら明治から浄土真宗が盛んだつた香港で火葬場も伊東忠太の設計とまでは言はぬが何らかの形で光瑞と忠太のアジア主義が反映された建築なのかもしれぬ。
深圳経済特区成立30周年で胡錦濤国家主席が来深。香港富豪となか/\接点もたぬ胡主席が超破格で李嘉誠と会見。祝典でも壇上では李嘉誠胡錦濤の背後の絶好の位置に収まり胡主席の重要講話でカメラに収まる。ちなみに全国政協の副主席たる董建華と香港行政長官文革曽は前列ながら舞台右端の末席。
▼ジュクのバーQのご亭主がブログでメール広告の配信停止手続きを二時間かけて全部済ませたのを読み、さういへばアタシも広告メールを普通に消去で済ますのが習慣になつてゐるが日にその作業をどれくらゐしているのかしら?と気になり数日前から意識しては配信停止し始めるとまぁこんな数だつたとは。同じ宣伝メールでも親切な会社は「このメールの受取をno longer wish…だつたらタイトルにunscribeとだけして返信してください。送信を中止します」なのにいちばん面倒なのは楽天。送信停止はログインしてから、会員ぢゃなくても会員用のDMが届いてゐる場合は(って何故よ?)、と取消するのに大わらは。取り消してもまだ配信されるので何で?と思つたら会員用で登録したメールアドレスの他にgmailでも届いてゐるのはどうやら楽天の何かの確認をgmailからした時にでもアドレスが先方に残つてしまつたからのやう。
▼マニラの元警官バスジャック香港ツアー客銃殺の出来事は香港ではもはや犯人の元警官の罪よりフィリピン政府、公安当局の不手際の検証が主たる関心事。海外旅行など本人の好き勝手。海外居住も一緒。渡航先、居住先でいかなる惨事に巻き込まれても本来、本人の自己責任のはず。フィリピンといふ国にはその風土、安全の尺度があるわけで勝手に旅行してゐて、その安否に云々云ふ勿れ。ところで先週だつたか蘋果日報で陶傑さんが面白く書いてゐたが香港政府の小役人だから行政長官レベルでフィリピンの元首たる大統領に電話して繋がらず云々と文句云つてゐるが、これがかつての大英帝国の総督であればそも/\香港総督にさうした外交に属す決断権もないのは承知で、総督なら先づは倫敦の植民地省(現在の外交部)に電話してかつての大学の同級生だかの外務官僚に植民地の地元民が他国で人質になつてゐること告げ本国の便宜供与求めれば倫敦は外務官僚が大臣に上告、大臣は首相の批准を得て在マニラ大使館に指示、在マニラの大使がフィリピン外務省に英国政府として植民地民の安全保護と解放求め、また香港総督は行政院(現在の行政局)の老練なる李鵬飛議員あたりに電話で、このツアー会社の社長に即刻現金US$20萬くらゐ用意させマニラに飛ぶやう助言するやう提案。旅行会社の社長は李鵬飛からの提案は実際には総督からのもの、と合点して数時間後にはマニラに。US$20萬はマニラの英国大使館員の便宜でマニラ警視庁に渡し、それが犯人に身代金として届くのか或ひは警察内部で何らかの報奨金にでもなるのか、兎に角、人質が安全に解放されればいゝわけでUS$20萬が有効に使はれ事件は無事解決。そこでどうした示談があつたのか横領があつたのか誰も関せず。それで良からう、と。この事件で唯一の損失は旅行代理店の社長だが数年後にはちゃんと英国女王よりそのツアー客救出への殊勲にOBE勲章授けられる栄誉あり、と。然も有りなむ。
▼「小さいおうち」直木賞受賞で中島京子林真理子オール讀物で対談。広告で「戦前日本は、明るく豊かだった」っていくら文春でも、そりゃないだらう、と思つたが、この対談読んだ築地のH君によれば中島京子は勿論、林真理子も「戦前日本は、明るく豊かだった」とそこまでは言つてをらず。編集者の勝手な思ひこみか……文藝春秋らしいが。中島京子は寧ろ明るい時代と礼賛してゐると思はれては困るのであつて林真理子昭和14年の銀座といふ話に終始するのに対して当時の都市と農村の格差がどれだけ凄かつたか、に言及の由。(以下、小説の筋に言及あり)この作品には主人公タキさんの甥っ子が登場しタキさんの日記を批評する構成に林真理子が選考の委員の間でも作中に外部からの目を入れてしまふのはどうか?といふ意見もあつたと披露したが中島京子はこれもさうやつてバランスをとらないと戦前を単に礼賛してゐるととられてしまふこと恐れた、と。アタシは個人的にはこの甥っ子の言及がいち/\鼻について好きになれず。むしろタキさんになつく姪っ子の方が櫻の園っぽくて良かったのに……でも、さうすると「女ばかり」で違ふ意味でバランスをとるには甥っ子かしら。

日本の近代建築〈下 大正・昭和篇〉 (岩波新書)

日本の近代建築〈下 大正・昭和篇〉 (岩波新書)

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富柏村写真画像 www.flickr.com/photos/48431806@N00/