富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-08-30

八月卅日(月)まだ八月が続いてゐるの?といふ感ぢ。早晩に帰宅してドライマティーニ二杯。夕食後にとらやの水羊羹と和楽紅屋の和ラスクを食後にいたゞく。
▼マニラのバスジャック惨禍から一週間。昨日は追悼の数万人規模のデモもあり。世論は狂気の沙汰の元警察官に憎しみから多少、同情的で「マニラ警察、政府側の対応がもつと真摯であれば」元警察官をあそこまで取り乱させなかつただらう、となつてゐる。
丸山眞男が学生時代に聞いた民法の講義(末広厳太郎で「時効」について、借金して催促されないのをいゝことにネコバヾを決め込む不心得者がトクをして気の弱い善人の貸し手が結局、損をするといふ結果になるのはずいぶん不人情な話に思へるが、権利の上にながく眠つてゐる者は民法の保護に値しないといふ話。眞男さんは、請求「する」行為によつて時効を中断しない限り単に自分は債権者「である」といふ位置に安住してゐると遂には債券を喪失するといふロジックから一民法の法理に留まらない「する」と「である」の認識を得る。丸山眞男の思想のなかで重要な「する」と「である」のエピソードだが、憲法について丸山先生は

そこ(日本国憲法の第12条)には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によるてこれを保持しなければならない」と記されてあります。この規定は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法第97条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば将来に向かって投射したものだといえるのですが、そこにさきほどの「時効」について見たものと、いちじるしく共通する精神を読みとることは、それほど無理でも困難でもないでしょう。つまり、この憲法の規定を若干読みかえてみますと、「国民はいまや主権者となった、しかし主権者「である」ことに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起きるぞ」という警告になっているわけなけなのです。

と述べてゐる。この指摘が半世紀後のいま読んで何と重要なことか、と思ふ。先帝の大喪の礼で喪に服すとか、君が代をサッカーの試合で歌ふとか、郵政民営化で小泉を支持するとか、気分で政権交代を実現するとか、そんな馬鹿/\しいことは出来ても、丸山眞男が半世紀も前に指摘した「この国のかたち」の核心的なことについては何ら認識も努めも出来ぬまゝ今日に至つたやうだ。半世紀前の記述を四半世紀ぶりに読み返していろ/\考へさせられることばかり。
▼SCMP紙に「蘭桂坊の父」Allan Zemanが蘭桂坊開発の第一歩となつた飲食店ビル潰し高層オフィスビル建設計画の記事あり。少し蘭桂坊の歴史を付属記事に基づきお浚ひ(写真は1945年当時の蘭桂坊)。香港の蘭桂坊は今でこそAllan Zeman王国だが黎明(レオン=ライぢゃないですよ、れいめい)は1978年12月12日にGordon Hunthart(Lane Crawford百貨店の番頭の息子で香港生まれ)によるDisco Discoの開業の由。Disco Discoに続き1983年にAustria閥(のちのTyrolean food)による1997と、Zemanの最初のバーレストラン、Californiaが開業。Disco DiscoはDD IIとなる。このオーストリア閥はかつてMozart Stub'nを経営かしら。Zemanが成功を遂げるが今世紀に入り大きな動きを見せたのが、蘭桂坊で1997系のクラブ、Morzart Stub'nやJimmy's Kitchen、ピークのPeak Cafe(現在のThe Peak Lookout)など次々買収したEpicurean集団。日系のイタトマも参加に。礼寿司もこの経営。Allan Zeamanがユダヤ系で、このEpicurean集団は名前の由来がギリシアエピクロスとは、何とも蘭桂坊は「あのへん」系。

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