富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-07-25

七月二十五日(日)快晴。暑いがモスクワが摂氏36.7度だかださうで香港は風もあり凌ぎ易い暑さ。午前中、裏山を走る。一週間前に蛍狩りしたコースだが、木曜日の雨でまぁ涼しいほどに勢ひよく幾筋もの渓流あり。ふだん湧き水や雨水が流れ落ちる凹みだけならず、あゝここも谷に向けて水が流れたのだな、と薮草がまさに草臥れてゐるところ多し。晝に冷や麦を茹でる。焼酎の麦茶割り二杯。西向きの陋宅は生憎午後遅くなると強烈な日照り。狭い廊下に蓙を敷いて読書のうちに微睡むこと暫し。夕方Z嬢と路線バスで九龍城。午後六時くらゐだと未だどの食肆も席もあり。いつものやうに蘭花に食す。食後に九龍城の市街を漫ろ歩けば殊に九龍城街市の西、侯王道に高級食材屋ずらりと並んでゐる。もと/\優店は多い地方だがお世辞にも「きれい」な店構へに非ず。それがまぁ内装にも凝つた店々が軒に並び驚くほど。暑いが風もあり漫歩には絶好の晩と侯王道から獅子石道、福佬村道と筋を練る。かなり前からずつと気になつてゐた陸堡(Ch. MAURICE)にも寄る。独特の風情ある店構へ。ちょうど店主が葡萄酒の配達に行くところで店をいったん閉めようとしてゐたが請ふてちょっと酒揃へ見せてもらう。読書人風のご主人の名刺にchâteauneuf cuhk; u paris vi, xi; u bristol とさりげに書かれてゐるのだが、これはこの亭主が香港の中文大学に学び巴里大学(6と11は理工系?)で更にブリストル大学って、どこでどう葡萄酒と出会ひ九龍城で酒荘を開くに至つたのか。最近評判の金滿堂甜品でドリアンの冷たいデザート頬張る。ドリアン好きには垂涎だろうが嫌いな方は店に入るなり目眩卒倒かも、こりゃ。旧啓徳空港の空に満月。昔ならこの月を背に飛行機が飛び発つていつたのだらう。路線バスで二更に帰宅。
▼右の画像は九龍城の日式料理店 。アタシには最初「むはは扑」と映りZ嬢は「おはなさん」と読んでしまつたが(生駒T君は「おはは土人」)、どうやら「おははさん」だ。英語名はJapanmamaで(これはけっこう良いネーミング)、その漢譯だとやはり「お母さん」だろうが「おかあさん」を「おははさん」と詠んだ。「兄さん」がいるから「姉(あね)さん」も良いとするか、いや「あねさん」はちょっとその筋で……といふ外国人日本語学習笑話があるが、なんか「おははさん」はいつも笑顔の明るい元気なお母さんを想像してしまふ。
▼大相撲の組織と運営の健全化。力士上がりの親方が組織する協会での運営では「もう、いけない」といふことになつて……相撲はさすがに「国技だから」なんてワケのわからない理由で文科省は指導・助言は出来ても外郭団体作つても運営は出来ないし、いつそのことN響みたいにNHKが、ってのもありだらう。地方場所や巡業で大飯食ひの百貫目の巨漢を何百人も世話できる人なんてカタギにゐるはずもない。ある面、オーケストラの運営と一緒だと思ふとやはりN響。あるいは、と築地のH君のアイデアホリエモン。宇宙開発とかに投資を止めて、もうホリエモンが相撲を丸抱へ。ホリエモンの言動見てゐるとネオリベなんだが「ちゃんとネオリベでない価値観が存在することをわかっている」から*1、たぶん「相撲では(ネオリベ的でない)前近代性を保存することが社会の中での相撲の商品価値を高めてゐる」ことを見抜けるのではないかしら。ホリエモンオーナーの大相撲は外部社会に対しては苛烈なネオリベ的な生き残り戦略を実践するだらうが「内部のダメさを含んだ伝統」は尊重してくれさうな気がする、と。
……で、突然思つたのが、これって歌舞伎と同じ道を?といふこと。歌舞伎が松竹が勝手に独占してビジネス化することでかなりの歌舞伎の芝居小屋が仕切る運営から、悪しき伝統であるとか美徳(完全に倒錯してゐるのだが)は崩れたが一先ず能狂言に比べ良家の奥様方なら「下品」とした歌舞伎をセレブ的にして歌舞伎の芝居を見ることも語ることも下品でなくしたわけで、役者も育たなければ今後も女形なんて出てくるの?は大和屋がやはりぎり/\だつた、あゝいふ役者が生まれてくる土壌があつたから、で、今後はかなり危ういでせう。歌舞伎といへば朝日新聞のジュニア版ワイド「ニュースがわからん!」で歌舞伎の特集。歌舞伎について

もとは、はやり歌や踊りなどを交えた、女性たちによる芝居だった。後に演じ手は男性へと代わっていき、今のように男性役者だけが出演する「野郎歌舞伎」になった。

って説明が足りやしませんかね。女歌舞伎から若衆を経て野郎になる、は歌舞伎の常識。ヘンに「野郎歌舞伎」なんて言葉だけ使ふからおかしくなる。「若衆」に対しての「野郎」なんだから「野郎」だけ紹介しても意味がないでしょう。「後に演じ手は男性へと代わっていった」で別にいゝのに。テクニカルに推測すると最初の原稿では「若衆歌舞伎」もあつたが説明がまわりくど行数を食つてしまひ、その割には本質に迫れない(ジュニア向けだから)といふので、そこ(若衆)を省いて後段の「野郎歌舞伎」だけが残つてしまつたのかしら?
▼春日井建全詩集を朝日の書評が取り上げてゐる(評は穂村弘)。春日井建をアタシが知つたのは堂本正樹氏の『回想 回転扉の三島由紀夫』の記述。そこから平井弘にアタシは繋がつた。拙考は富柏村日剰2005年12月1日(こちら)にあるが穂村氏が言及してゐるやうにアタシも春日井「健」と誤記してゐるのにいま気づく。暑い夏には堂本の三島回想本、平井弘詩集なんて読み返すには好いかも。春日井の詩集は残念ながら手許にない。
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平井弘歌集 (現代歌人文庫 20)

平井弘歌集 (現代歌人文庫 20)

*1:単なる構造改革論者に非ず「世の中にはネオリベ的生き方以外の価値観があること」がわかつてをり(ブログ参照)「さういふものを存在させるために自分が財をはきだすことがかえつて効率的!であるかもしれない」というふ、単純に「社会保障のムダを削減するためにベーシックインカムを」といふ話ぢゃない。