富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

鄭家大屋

fookpaktsuen2010-07-02

七月二日(金)早朝から望厦の丘に上がる草臥れない老人らの歓声賑やか。アタシらも朝七時くらゐに丘の頂きの砲台まで散歩。まぁ数あまたの老人たち太極拳からモダンダンスまで、でこれぢゃ寿命も延びるはず。朝から猛暑。巴里が摂氏34度で上海は40度の由。それよか涼しいかしら。ホテルに戻り朝食。ホームメイドのジャムが殊更、美味。スタッフの地元青年が名前がフランコ=ナントカ=ディ=シルヴァだつたりマカオらしいところ。外に出る気も失せ午前中はずっと部屋で読書。この賓館のツインルームは套房(Suite)ぢゃないが広い次の間があり快適。正剛先生の「白川静」読了。部屋引き払ひ炎天下歩きAve. de Sidonio Paisの利多餐庁に昼餉。改装も済み矍鑠とした老女将のもとまだ/\続くのかしら。バス乗り継ぎフェリーターミナルに一旦、荷物を置いてバスで媽閣(Barra)に近い鄭家大屋(公式)へ。マカオ世界遺産の一つだが19世紀の大班・鄭文晶とその跡継ぎ・鄭観應の邸宅は老朽化著しく2002年だかにマカオ政府接収後に修復作業続け数ヶ月前に一般公開を再開。 但し史跡維持がため100名の入場制限、各々の堂と二階部分も夫々20名しか入場させぬ方針で事前に予約を、とのことで昨日、電話で予約しての参観となつたが実際に訪れてみると参観者は数名のみで閑静。周囲の都市開発のなか、よくぞ奇跡的に残つたマカオの前時代の邸宅で修復も巧みだが如何せむ鄭家の堅実さかけして瀟洒でない地味な建物が存在するだけで調度品などがない今回はまだ修復工事終了での暫定開放(下手にいぢらずこのまゝでも良い鴨)。この暑さなのに建物に涼しく流れる風。猛烈な日差し遮り風通り巧くする華南のこの風土に合つた建築。雨が降れば降つたで中庭に降る雨も見事だらう。ちなみにこの鄭観應の第四子が写真家・鄭景康(1904〜78)で天安門に掲げられる毛沢東の肖像写真がもとはこの景康の撮影のもの。猫空間で猫を愛で何東図書館の中庭で読書。まだ夕方だが祥記麺家に早めの夕食済ませセナド広場からフェリーターミナルへ。ターミナルのコインロッカーは最初二時間で20パタカも高いが二時間経過すると超過料金が5パタカと思つたら25パタカで計45パタカ。硬貨で払ふのも難儀だが、ふと思へば数時間前から荷物だけ乗船のチェックインしちまへば良いのだつた。18時のフェリーで香港に戻る。周作人随筆(松枝茂夫訳)読了。帰宅すると陋宅の室内も摂氏36度の温室状態。晩に先日、書架で数年ぶりに発掘の岩波新書丸山真男「日本の思想」読まうと思つたが、折角なので先に「超国家主義の論理と心理」再読(『世界』主要論文選1946〜1995)。
▼「超国家主義の論理と心理」再読でのメモ。「公」に対する「私的」のどこか後ろめたさ、横の社会的分業より縦の究極的価値に直属する職務に対する矜持、自己を究極的実体に合一化しようとする衝動の内包……なんて弱冠32歳の真男先生の1946年の指摘から今も何も変はつてをらず。たゞ問題はその丸山真男ですら1945年の8月15日を「超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日」なんてまるで自分たちが市民革命でも興して人権と政治的自由を勝ち取つたやうに思つたことぢたい問題だつたのだらうし安保闘争で丸山先生を否定するだけで革命的勝利を感じた戦後の若者たちも甘かつた。

現代政治の思想と行動

現代政治の思想と行動

富柏村サイト www.fookpaktsuen.com
富柏村写真画像 www.flickr.com/photos/48431806@N00/
http://twitter.com/fookpaktsuenhkg