富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-06-25

六月廿五日(金)昨晩十一時になるまへに眠りにおちたが未明に目覚めたのが朝三時半。ちょうど日本対丹麥の蹴球試合のまだ最中、さすがに起きるには早すぎて二度寝仏蘭西に続き意太利の出局でアタシのポルトガル単勝25倍が18倍(7番人気)に。「勝ちましたね〜」の挨拶に「ほんと6連敗でしたからね、ソフトバンク」といふコメント用意してゐたがアタシ相手に誰も蹴球の話題すら振つて来ず。早晩に帰宅してカレーライス食す。ジャックダニエルソーダ割り。心臓の動悸が激しく、治まらず早寝。
▼信報の社説(「析民主黨之「變」 哀建制派之「失」)は民主党の「轉軚」(方向転換)に対して(民主集中制共産党を除けば)政党が政策の修正は民主社会では当然として理解を示し「単なる反対党」からの脱皮を評価。但し何故に2005年の文革曾息巻いた政改案には反対し今回は賛成に回つたのか、と(社説はそこに政権への意欲、北京中央との何らかの駆け引きを仄めかす)。いずれにせよ香港(地方自治体だが)政府にしてみれば大きな政治危機どうにか乗り越へ北京も「香港人民主化要求を頑なに拒む」印象拭ひ民主党は北京の何らかの認可を得て政権担へる政党化。(社説は指摘してをらぬが政改案反対に回つた公民党も民主党の轉軚で寧ろ法の原理原則で主張を曲げぬ方針を貫き)結果、土共や地域の有力者など集めただけの建制派は、その多くが職能団体別枠選出で今回の政改案には当然、与党として政治支持で賛成に回つたが敵である民主党案採択され、将来的に普通選挙実施されゝば職能団体別枠解消(まさか人望低き土共らが選挙区で当選できるはずもなし)で政府がウイングを民主派に広げたことも民主派の政府寄りの姿勢も建制派にとつては衝撃は大。


▼一昨日の信報に尖沙咀の1881にて開催中の九龍歴史写真展についての記事あり(李卓賢)。1881は水上警察署の建物を李嘉誠財閥が政府から提供受け丘を削り樹木伐採して陳腐なる成金趣味のホテル&商業施設として開業。水上警察署の建立は1884年だが4の字嫌ひ1881にしてしまつたもの(鄧達智君による)。そこで数條荒蕪の村落が現代都市に発展する態を写真でお見せしよう、とそれは良いが本来、重要史蹟として保存されるべき水上警察をここまで破壊した李嘉誠財閥による写真展と思ふとただ/\嗤ふばかり。この九龍半島突端の場所は1842年に清朝の九龍西一號炮台が置かれた場所で英国への九龍割譲後に砲台は撤去され阿片窟になつたこともあり。その後、水上警察署が置かれたが「山丘剷去、樹木砍掉後卻掛『1881 Heritage』的牌匾,除了作為大發展商宣示主權的碑石,根本沒有任何社會意義!」(馬國明)と。御意。ところで李卓賢のこの記事で「1903年のネイザンロード」と紹介される写真(右、http://bit.ly/9Jmaps)、狭い街頭の賑はひからして中環から上環あるひは湾仔に映るが如何かしら。写真に写る女性の洋装も電髪も1903年にしてはモダン過ぎ、よく見るとペプシコーラの看板あり。ペプシといふ名での米国での発売開始が1898年で5年後に香港でも普及とも思へない。さすずめこの有名な左の写真とかの掲載写真の間違ひだらう。

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