富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

齊默曼鋼琴全蕭邦演奏會

fookpaktsuen2010-06-22

六月廿二日(火)早晩に尖沙咀。Z嬢との待合せまで普段なら麦酒でも一杯、だが音楽会のある夕方は禁酒しないと最近は酔ひがまはり音楽会で寝てしまふので珈琲飲もうとiSquare(旧ハイアットリージェンシー)に入ると星巴が満席で6/Fだかまで上がり某珈琲屋に入つたが尖沙咀の一等地のモールだと思ふと閑散ぶりは深刻。あら不思議、は7/Fまでが商業施設でその階上はオフィスビルだが、いきなり20階。8〜19階不在で、ここも香港らしく「跳樓」かしら(フロアガイド)。Jimmy's KitchenでZ嬢と軽く夕食。日本人の若い子連れ夫婦、酒が入るにつれ妻がだらしなく姿勢崩し大声で「コージーコーナーのケーキがさぁけっこうイケてさぁ」と居酒屋モードに周囲の客がかなり迷惑も本人感知せず。香港文化中心。今日から二晩、若手有望株の崑劇で「牡丹亭」通しあり。三月に白先勇の青春版の牡丹亭通しで見たが、その時の俞玖林、沈豐英らも再演で食指動いたが今晩は音楽ホールでクリスティアン=ツィマーマンのピアノリサイタルでショパンづくし。前回は何年前だつたかしらSCMP紙にはツィマーマンが近い将来ピアノ演奏中断し指揮に専念なんて記事もあり。今回もなか/\開場せず。Z嬢と今ごろ最後の調律か、あるいは会場が「静かになれ」のお祓ひでもしてゐるのぢゃないかしら、と噂して待つ。会場となり客が着座しても香港にしては異常なほどの静けさ。「場内での写真撮影、携帯電話のご使用は……」のアナウンスもなく照明が落ちてクリスティアン=ツィマーマンが現れる。夜想曲嬰ヘ長調作品15-2が始まり他のどのピアニストにもない緊張感。アタシは全くリラックスできないので、ちょっと苦手。寛げば良いのだが鍵盤の演奏ばかりかペダルの作法、調律まで完ぺきでアタシはただ/\緊張。ソナタ2番で恐れてゐた通り1楽章が思ひつきり派手に終はると上手二階席より拍手が場内に波及。ツィマーマンはちょっとだけ返礼して「まだ途中なんですよ」光線を発射。客も客だがツィマーマンらしく演奏曲目が数日前まで確定せず客席のパンフレットにもソナタの2、3番の曲紹介があるだけ。別紙挿入で今晩の曲順だけ間に合はせてはゐるが、よほどショパン知らぬ客には夜想曲に続くソナタの2番が4楽章編成は不明と思へば途中の拍手も致し方あるまひ。パンフレットには神経質に「楽章間の拍手はしないように」なんて書かれてゐるが、むしろ曲順紹介のリーフレットソナタは「4楽章編成です。途中で拍手しないように」とでも書けば親切。この1楽章の途中で会場の照明ライトのカバー?が共鳴してゐたのも耳障り。3楽章(葬送)からアタッカで4楽章フィナーレへ。ツィマーマンの不安定な世界への何か期待のやうなプレスト。その勢いでスケルツォ2番。中入りのあとソナタ3番と舟歌(バルカロール)。見事な見事なツィマーマンのピアノ、アタシは最後まで緊張したまゝ、睡魔に冒されるはずもなく寧ろツィマーマンならほろ酔ひの方がアタシには合ふ鴨。アンコール演奏なし。でもツィマーマン様は観衆のサインに応じる由。演奏後のロビーに長蛇の列。明晩は前半は同じで中入り後はバラードの4番とソナタ3番の予定(Z嬢は二晩連続)。ツィマーマンは五月から今月上旬は日本で12カ所14公演済ませてのこと。この慎重と静寂の外套を纏つた寡黙なピアニストにとつて演奏会はまるで修行の場の如し。この人にとつてストレス解消とか何かあるのかしら?と気になるがZ嬢の話では「夜の六本木が好き」なんてコメントもあつたさうで「のだめ」のシュトレーゼマン先生のやうだが、やはり恐らくストレス解消に「ハノンを全曲弾く」やうなのがツィマーマンの印象なのだ。会場でツィマーマンがピアノ弾きながら指揮する維納フィルのベートーベンのピアノ協奏曲1&2番のCD購入。18歳でショパンコンクール優勝のツィマーマンも今年で54歳。多少ふっくらとして背中が丸まった感じ。まだ/\これからが円熟期でピアノを引き続けてもらひたいがコンサート終はつて邂逅の外交官T女史が「ルービンシュタインもちょっと静養して、のあの復活ですから」と。確かに。演奏会のあひだに驟雨あり(写真は文化中心の窓から)。雨があがり月がきれい。帰宅して扇子にアイロンをかける。扇子にアイロンをかける、といふと想像すると扇子の扇面の折り目が平らになつてしまひさうだが、さうぢゃなくて、いま使つてゐる扇子が宮脇の新品なのだが和紙の折り目に一カ所少しだけ歪みがあり構造的あるいは使用に何ら支障ないのだが気分的に気になり扇面を折つたまゝ恐る/\アイロンを当てたら歪み失せ、しっかり。「これはイケる」と(新品で扇子にアイロン当てるのは邪道だが)使ひ古しで宮脇はんや日本橋の伊場仙の扇子など捨てるも勿体なくとつてあつたのを訂正に折り目正しくアイロン当てるとかなりシャンとしてまだ/\山や海の行楽なら気軽に使えさう。
▼香港政府の民主党政改折衷案を北京中央=香港政府=親中御用政党が受け入れ所謂「泛民主派」が折衷案容認派と反対派にまっ二つなのは昨日この日剰に綴つた通り。やはり気になるのは香江第一筆・林行止氏の発言。信報で今朝の専欄「建制內外爭民主 共看團圓與分裂」一読すると、香港の政治改革の一歩前進よりも、やはり北京中央による泛民主派=反政府派の分裂工作への介入への危惧あり。民主党も元老・マーチン李柱銘は香港が魁として民主化することで中国の民主化を企図するが、現執行部の多数は香港の政治改革が主眼で、その辺の意識の意識の差あり。林行止が抗癌治療続けながら活動続ける司徒華老人(折衷案賛成)に対して「為黨內法架勢的元老司徒華的言行愈來愈像因反六四屠城而流亡海外的中共黨內自由派,啟人疑竇,在所不免」と苦言を呈すとは。もはやハーモニーもなし。いずれにせよアタシには今回の民主党がかつての日本社会党のやうに見えてならず。いゝやうに弄ばれ結局は分裂と解党。民主党の現執行部が民主党に、マーチン李柱銘らがさしづめ社民党。また信報で港大法律學院の張達明助理教授が指摘するのは今回の民主党の折衷案受け入れは制限なく選挙モデル作れる「中国の特色ある立法議会普通選挙」もあり得るわけで2020年!の普通選挙実現を政府宣ふが全面直選にならず「何らかの形で」職能団体別枠残せるのではないか、と。さもあらむ。
▼先日、中曽根さんが菅君を「市民的保守」と朝日新聞で語つてゐたが憲法学の権威のH先生も大勲位のこの「国民と市民」の論点は微妙にズレてはゐるが着眼点の凄さに感心の由。もと/\中江兆民がcivil(仏:英語のcivilian)を「市民」と呼んだとき、それは「国家に対して政治に主体的に関与する」といふ意味が込められてゐたのであり「市民であるためには国民であることが前提」だといふ。ならば「市民というのは国民の対立概念ではない」わけで大勲位の「国民」と「市民」の対比には微妙なズレあり。むしろ「帝力于我何有哉」か鼓腹撃壌かの民こそが市民や国民国家を越へた人民のありやうか。近代国家の建設を直接の課題とした明治時代の知識人にとつてはそんなのは論外。いわゆる「市民派」と映る先生だが、国家の解体とかコスモポリタニズムもあるにはあるが思考としてはともかく国家主権あつてこそ、の憲法。さうすると市民派憲法学者国家主義者であるはずで……まぁさういふわけで中曽根先生の「国民と市民」の対比にはちょっとズレがある。いづれにせよかうした憲法の大権威と大勲位の対談なんてあつたらさぞや面白かろう。題して「権威と勲位」(ケインとアベルのやう)。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番・第2番

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番・第2番

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