富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月十二火(水)朝二時半と五時前に目覚めたが起きる元気なく微睡みつゝ六時過ぎに起きる。なにか胸が閊へるといふか気分芳しかぬ日々。AE卡で銅鑼湾のメンズエステサロンの「お試し」あり二時間半、按摩と顔面護理。按摩は慣れてゐるがエステはそりゃ気持ちいゝ。お肌の老化が治るはずもないが終わつた時の爽快感。There ain't no such thing as a free lunchで終わると「待つてました」とばかり「お気に入り召されましたか?」と今日の正価ではHK$1,500の顔面護理がパッケージでお求めいたヾくと20回でHK$16,800で断然お得……と。丁重に今日はお断り。遅くまで仕事してゐると今晩深夜のフライトで東京に戻るA氏より招飲ありバーSでほんの30分だけ最後の一杯。ヰルキンソンのジンジャエールありジンジャーワインをこれで割りレモンいれたのが実に季節に合ふ。二更のうちに小雨のなか帰宅。
堺屋太一(文春六月号)「私が上海万博を提案した84年頃、上海の町は暗く、自動車はほとんどなかった」って、そんな(嗤)。「中心街にあふれるのは自転車の大群、人々の服装は青い人民服一色、女性は全員おかっぱだった」って、広州ほどぢゃないがこの当時の上海はもう自転車は北京のように大群にあらず、人民服からだいぶ軽装目立つようになり女性が化粧やヘアスタイルなどに興味もちはじめてゐたのが事実。堺屋太一も「万博は堺屋」で言ひたい放題。「93年頃から中国の沿岸部が一斉に工業化を始め、97年頃から猛烈な勢いで近代工業社会に突入する」もいい加減だし鄧小平の南巡講話が「早く豊かになれる所から豊かになれ」も実際にこの講話の重要性は「改革開放、経済発展が社会主義発展と矛盾しないこと」。この講話で「「物財の豊かなことが幸せだ」という近代工業社会の精神が急激に広まった」なんて……。とにかく堺屋氏が言ひたいことは上海万博を成功させることで「万博は堺屋」なのかしら。

文藝春秋 2010年 06月号 [雑誌]

文藝春秋 2010年 06月号 [雑誌]

富柏村サイト www.fookpaktsuen.com
富柏村写真画像 www.flickr.com/photos/48431806@N00/
http://twitter.com/fookpaktsuenhkg