富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

永利街の保存決定はある意味「開発」だらう

fookpaktsuen2010-03-17

三月十七日(水)陋宅で階下の改築が済みさうと思つたら今日から階上の部屋で改築開始。老朽化のマンションで改築となると壁から壊す大々的な工事で噪音もひどいが何より心配は野犬の如き無学な非熟練工による強引な作業で天井や床に穴を穿つんぢやないか。先日は非熟練工の過失でビル倒潰すらあり。老朽化したビル、といへば政府が再開発を計画し住民の立ち退きも始まつてゐた永利街の舊楼群をほぼ全面的に永久保存決定。昨日見た映画「歲月神偷」のロケ地。上環の老朽化した一角で独得の風情残してをり昨今の香港舊情のブーム、集體回憶の思ひ入れで取り壊し反対の声も上がつてはゐたが起爆剤はこの映画がベルリン映画祭で何とか賞受賞で話題。連日多くの参観者で永利街が賑はふほど。ふとアタシのFlickrに数年前の(まだ住人のゐる路地であつた頃の)永利街の写真セットあり覗いてみたら(こちら)2009年末にエルマーのレンズ入手後の試し撮りの駄作ながらかなりのヒット数あり永利街ブームに納得。こゝ数年、香港にしては少なからず古典に属す建築の保存が続いてこそゐるが建物をお洒落な飲食施設にしたり集客が目当て、愚の骨頂は李嘉誠による尖沙咀水上警察署建物の観光施設化と大量の樹木伐採。永利街も建物残つたところで粗呆区の歓楽街が拡大されるだけ、になりやせぬか。ところで永利街保存の直接の起爆剤はこの映画「歲月神偷」だが実質的な主人公は「橋王」許仕仁、と今日の信報(独眼新聞欄)。橋王、つまり香港政財界一の世渡り上手の許仕仁(前政務司司長)は若い頃に香港政庁のエリート官僚コース著実に階段を上りつゝ1970年代に第一映室(Studio One,The Film Society of Hong Kong)主席など務め(この映画配給会社が60年代から香港で黒澤、成瀬、小津の映画を紹介の由)1977年の第一回香港国際映画祭開催も当時29歳の許仕仁がかなり開催に尽力。当時から昵懇だつたのが「歲月神偷」のプロデューサー張婉婷や監督は羅啟銳で、許仕仁ゐてこそ、の永利街保存、と指摘。御意。さういへばこの映画がすでに住民の立ち退き始まつてゐた永利街でロケを政府が全面的に支援したのも、芸術発展局だか何かの製作資金提供受けられたのも許仕仁あつてだらう。政府エリート官僚でありながら退任後は財閥系企業に遊び香港政府が強制積立年金制度始める際にはその基金団体のトップに選ばれ公共団体の主席など名誉職につきさすがにリタイアか、と思へば文革曾に請はれ政務司司長に就任……と香港で不世出の世渡り上手だが、こんなところにまで関与とは大したもの。

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