富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-01-07

一月七日(木)早晩に散髪。来港中の中野Y兄と晩に湾仔の益新に食す。帰宅途中に銅鑼湾で地下鉄で途中下車しバーSに寄れば華南M氏来られ款語尽きず半夜三更に至る。
蘋果日報が一面で大きく「鄭耀棠:衝擊中聯辦 北京震驚 土共靠嚇」と報じるのは香港の土共(地元の中共系)で政府行政会議の議員、全人代の香港代表でもある鄭耀棠が昨日、元旦のデモが北京の香港出先機関たる中聯弁に向かつたことにつき、かうした行為は北京を震驚させ香港の政治改革にはむしろ障礙になる、と指摘。中聯弁の香港での位置は国家が海外に置く大使館のやうなもので尊重せよ、と。北京政府はこのデモが一部の市民によるものであることを理解してゐるだらうし、もし市民の大多数(が中聯辦で衝突)だつたら北京は(人民解放軍の)出兵も辞さないだらう」とまで笑ひながら言及した由。鄭耀棠はこの発言のあと「震驚」と言つた記憶はない、「市民の過激な行為は中央を緊張させ、良く進むものも進まず成果がゼロになるのを恐れる、と言ひたかつただけ」と言ひ訳。このくらゐなら親中土共のよくある舌禍の一つで、かうした実は親中派のミスリードが香港の嫌中感を増幅させるわけで、そのへんが実は温首相が言ふ香港の「深層の矛盾」かしら、とアタシは思ふ。これにつき信報も社説(何須代中聯辦「震驚」)で鄭耀棠のこの言及を強く批難。中聯弁はかつての香港新華社で、そこはデモの名所だつたところ。鄭耀棠は鄭耀棠を「大使館」と形容したが誤解甚だしく、香港市民が何かあつた時に自国の中央政府を代表する機関=中聯弁に押し掛けるわけで中聯弁はそれをどう理解し対処するか、が大切でこれまでもデモが中聯弁に向かひ、国内とて市民が民生レベルで集団の抗議活動などする時代、どこに「震驚」があつたか、と。今回の元旦のデモについて中聯辦がコメントを控へてゐるのも当たり前。寧ろ、1997年以降、かつての新華社時代に比べ中聯弁に向かふデモは減少。「震驚」といふほどの民衆蜂起は1950年代の国民党が背後にあつた暴動と60年代の文革の影響受けた反英暴動の二つ。香港の政治制度改革がやはり香港政府自身が無策で全て中央の決定に従ふ、となつた時に、それが民意を繁栄しなければ市民の抗議の矛先は中央政府=香港では中聯辦に収斂するわけで中央政府も慎重に判断を進めるべき、と指摘。御意。いづれにせよ、やはり北京中央にとつて香港治世の最も大きな障礙は土共か。国内でも地方政府の小役人が贈賄や権力横暴で問題なのと同じこと。
▼香港政府の小役人らの「お手盛り」已然甚だし。医院管理局は昨年二月には十七名の高層を英国に遣り「病房為本工作検討」訓練。HK$60萬費やし一人当たりの旅費はHK$3.5萬也。また新界西區の医院連は日本でトヨタの自動車工場視察。この組織は昨年一年で七回の海外視察を実施、総額でHK$21.5萬、四十三名の職員が計百十二勤務日をこの視察に費やした由。管理当局曰く、視察団参加者は大部分が部門主管や管理職で前線ではないので医療サービスに影響はない、と(笑)。医管局のかうした視察や外部での訓練は年間予算HK$6.6千萬で同局の年間予算の0.2%に過ぎず(そりやさうだらう、巨大な公共医務組織である)7.9萬人がそれに参加し、そのうちHK$1.5千萬が海外への出向で1,500名がその対象。つまり中間管理職以上の謂わば「ご褒美」「慰労」出張が現実かしら。

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