富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-10-31

十月晦日(土)。快晴。大埔に野良仕事済ませ午後遅く中文大学。週末で閑かなキャンパスを本部あたりから散策。大学の文物館で「北山汲古」と題した利榮森(1915〜2007)集古の文物展見る。利榮森は利希慎の第四子。利希慎は二十世紀初頭に当時、今の銅鑼灣からJardine商会が中環に本社移した際にその土地買収。利園山と呼んだ山をば崩し東角(今の十合百貨店のあたり)埋め立て、まさに北山愚行移山の故事に因み榮森は堂名を北山堂とす。参観の客も少なき館内に足も少し覚束ぬ老女あり職員に何か尋ねる声も慥かにメイ刀自。二十年近く前にアタシがこの大学に寄宿のころ院宿の食堂などで孤独に食す老女あり日本人の数名の寮生がなぜかそれなりに親しくしたが大学の老教授でもなければ職員OBでもない。だが図書館でも講演会でも関係者限定の所にときどき姿見せられる。何処に住むのか何をされてゐるのか本人もあまり語らず。英語名がMayで流暢な英語を話される大陸生まれ(慥か上海だつたか)。中文大学の山姥といつたら失礼だが誰もあまり對手にされぬのが気の毒。そのメイ刀自に十七、八年ぶりか、で邂逅。浦辺粂子似。声をかけると刀自は余の記憶はないが二十年近く前に院生宿舎で、と声をかけると「もう院生宿舎の食堂はないのよ」と当時思ひ出し「なぜあたしのことがそんな二十年の前のことなのにわかるの?」と嬉しさう。貴女のやうな不思議な方を忘れるわけないでせう、とも言へずきふかうを温める。どう考へても八旬。大学の近く、といふことは赤泥坪の村にお住まひかしら。ずいぶんと肌を病んだ、と言はれるが齢を考へれば当然のやうな皮膚の劣化としか思へず。漢方の病院であるとか日本でどこか皮膚科の良い医者はをらぬか、と尋ねられるが、この不思議な刀自にどこまでアタシが関はつて良いのか鳥渡、引くところもあり懇意には躊躇するのが正直なところ。莫大な財産のある身寄りなき老女、なんて当時も噂してゐたこと思ひ出す。すつかり近代化した院生宿舎から鉄道駅に近ゐ崇基学院に下る。山徑の裏道は当時のまゝ。Z嬢と当時一年余寄宿した崇基の教職員宿舎の小さな建物も健在。鉄道の「大学」站にはHyatt Hotelまで在る。大学が建築しHyattが運営の(大学に観光学科でもあるのかしら?)教学酒店ださうで今いち理解できないがHyattといへば香港では尖沙咀の舊Hyatt RegencyにあつたTin Tin Barがこのホテルにあると聞いてゐたので往つてみたが「午後五時からです」と愛想悪し。一時間待つ気になれず。土曜日の午後だ、せつかく屋外もあるバーなら少し早めに開ければいゝのに。西湾河へ往く。Z嬢との待ち合はせまで基記水電工程の牛雑と、もう一軒名前知らずの「今どきHK$3の魚蛋」頬張り缶ビール立ち飲み。太安樓の最上階(二十八階)に上がる。狭い住宅並ぶ廊下の端に往けばなんと見事な絶景かな。Z嬢と二記飯店に夕餉。今晩は店主が「美味いよ」と言ふので「老友鬼鬼」食す。揚げた蝦餃を卵白のとろみで合へて、これがなぜ「老友鬼鬼」なのかしら。電影資料館。中共建政六十周年の映画特集で「天安門」見る。この特集ではこれ一本のみ。一九四九年九月二日、北京に駐屯の華北軍区の数名で組織する劇社隊(革命演劇などする軍の文化部隊の大道具係といつたところ)に緊急命令が下る。十月一日の開国大典までに荒れ果てた天安門をば典禮に見合ふやうに改修し飾り上げろ、といふ党指令。二十八日間の寝ずの作業が続く。一万名だかの軍兵や労工、市民がかき集められ、を大筋で描かず、その劇社隊の、しかも話の後半は天安門の楼上に掛ける八つの大きな籠灯(ランタン)が北京の職人らには出来ず、これをどう完成させ間に合はせるか、に話のトピックスをば収斂したのが上手。北京の当時の「反革命的な」粋人の鳩まる風呂屋の描写が見事。「建国大業」が蒋介石評価し国民党寄りなどとネットで叩かれる韓三平の監製だけあり?、清の時代に紫禁城にて籠灯職人として代々仕へた老家をば目立たせるとは。たゞ一つとても気になつたのは一九四九年のこの建政前後の頃に果たしてそこまでの毛澤東への個人崇拝、神格化があつたのか、アタシには疑問。「建国大業」にせよ、この「天安門」にせよ建政六十年の提灯映画とはいへ余りに「建政後の途中はまぁ見ないでおくんなさゐまし」で内戦勝利から建政までの見事さ強調にはやはり食傷気味。
▼中国の長江に神をも恐れず中共が建造の三峡ダム、2006年の完成紀念式典に中共の国家指導者が誰一人として来臨なく完成当時から党政府幹部が近い将来の責任回避か、と噂されたがダム下流域では旱魃著しく六十年で最悪の由(29日のSCMP紙)。党政府の責任も、だが建造に加担した日本、投資した企業の責任も考へるべき。
加藤諦三先生の「非社会性の心理学 なぜ日本人は壊れたのか」といふ本。読んでゐないが(たぶん読まないだらうが)「 娘に売春をさせる母親、成績を注意されて親を殺す子供……日本人はなぜこゝまで壊れたのか。「非社会性の心理」と呼ぶべきものが日本中に蔓延してゐる。果たして処方箋はあるのか?著者、渾身の日本人論」なんださうな(築地のH君より)。で結論は「先祖を敬ふ」。娘に売春させる母親なんて、昔の方が多い。むしろ娘が売春でもして親孝行する、なんて話を醇風美俗としたのが日本では、とH君。御意。
▼円楽師匠逝去。「古典落語の第一人者」と朝日新聞。同紙の矢野誠一氏の追悼談にある演じること=噺家の「当然」から一歩逸脱した円楽像こそ正鵠を得てゐよう。この噺家はテレビが中心でアタシが寄席に通つた頃も全く噺を聴いてをらず、そのあと件の協会脱退騒動。四天王では円楽はさういふことで見てをらず興味なく、三平は何だかさつぱり解らず、談志は高座から睨まれ叱られてゐるやうで楽しめず、アタシにとつてはやはり志ん朝

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