富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月三十日(金)早晩に銅鑼灣。十合百貨店。東京メガネで誂への眼鏡受領。尖沙咀。Jimmy's Kitchenでドライマティーニ飲む。日本系のNなるビストロ?で宴会あり末席を汚す。宴会の途中に母より電話ありJ大叔父の逝去を知る。大正九年生まれで数へで九旬の大往生。中央で法科に学ぶが先の大戦で南洋に遣られ九死に一生を得て生還。戦後は地裁の事務職。大らかな親族の中でも格別の人柄。酒を愛をしむこと人の追従許さぬ酒豪。酒を朝からちびりちびりと寝るまで。我が先考は同じ申年で性格もどこか似たところあり殊更この叔父に可愛がられ余が香港に移り住んでからも帰省の折に温泉に、といへばこの大叔父招き温泉に行く自動車の中でも酒をちびりちびりと。何より話題に尽きず笑話絶えず愉しい酒の醍醐味。宿酔もなく翌朝は明るくなることには早起きで独酌の見事。香港にも二度いらつしやり一度目は広東省の従化温泉にお連れし二度目は深圳へ。話を聴けばたゞ盲目的に愛国だの右翼に走らず従軍の頃の史料をば同期の仲間と詳細に綴られる史料遺す。
海行かば友を失ふ南洋の餞(はなむ)け尽きず永遠に仁(した)しむ
とJ大叔父偲び詠んだが、これぢや宮様の御歌みたい、で本当は最初に詠んだのは
海行かば友を失ふ南洋の餞け尽きず御酒(みき)に仁しむ
なのだが弔歌には鳥渡。八月に帰省の折、母と山深き高齢者施設に見舞つたのが大叔父の尊顔拝した最期。この月の末に叔父と従兄が見舞ひに訪れやうとしたらインフルエンザ感染予防のため、と見舞ひ断れた由。老い先短き老人にとつてインフルエンザ予防と親類縁者との面会のどちらが優先されるべきか。然も大叔父と八旬となる叔父は最期の面会を逸したのだ。
▼七月末に跌倒撞傷頭昏迷の賭王何鴻燊(スタンレー=ホー)氏、港安病院より養和病院に移り治療続く。家人はその後、手術後は顔色も良く食慾もあり、寝台より起きて歩行した、自転車漕ぎの運動をした、芸人の劉徳華(アンディ=ラウ)の既婚発表喜んだ、と快方に向かふ賭王を語るが消息筋の話では一旦昏迷してから実は覚醒してをらず、と今朝の蘋果日報。すでに医療費に百萬港幣かけたとか。すでに財産は本宅の他、三人の妾家にも相続分配は済んでをり賭王崩御となつても遺族で相続争ひにはならぬ由。目下の関心は賭王を襲ひ誰が澳娯(STDM = Sociedade de Turismo e Diversões de Macau)の経営権を掌握するか、で二十数名の親族のうち商才には最も長ける二房長女の何超瓊、男子では筆頭の何猷龍、STDMの取締役でもある第四夫人の梁安琪、それに澳娛の株の一割所有する新世界集団の鄭家純の名が上がり、また霍英東閥も同社の二割の株保有の有力株主で動き注目されるところ。

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