富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-09-25

九月二十五日(金)今週末が多少忙しさうなので早晩に整体。久々に「修脚」も。修脚は英語だとペディキュアだが日本語でペディキュアといふとマニュキュアと対で爪の美飾の印象強いが「足病治療」といふ意味もあり、たゞさう言ふと何だか医学的だが爪を整へたり角質を除いたり、と。茨城大学で中国化学史研究される真柳 誠先生がさすが的確に説明されてゐる(こちら)。帰宅して野菜煮て蒸し食す。白洲次郎のドラマ、水曜日放映の第三話(了)録画したのを見てから寝る。

▼1993年だつたかHSBC(香港上海匯豊銀行)は香港返還見据ゑ英国のMidland銀行買収を機に総部をば倫敦に移し順調に世界的メガバンクとなつたが今日、総部はそのまゝ倫敦だが行政総裁(CEO)弁公室をば来年初に香港に戻すと発表。大中華圏の金融業務の強化。
▼信報に金觀濤と劉青峰の夫妻の取材記事あり興味深く読む(中國現代轉型還未完成)。金觀濤、劉青峰といつてもピンとくる人は少なからうが1980年代に中国の問題をば見事に抽出したテレビ度キュメンタリー「河殤」の制作に携はつた学者夫妻。「河殤」以前に中国の社会システムとしての<超隠定構造>提唱し注目を浴びる。1989年の春、夫妻は香港の中文大学に研究訪問で滞在してゐたが六四の発生で大陸に戻れなくなり、そのまゝ香港に客居。現在は台湾政治大学の中文系で教授。中国ではお上も巷も経済発展をば喝采するが中国の百年来の現代転型(トランスフォーメーション)は未だ完成してをらず「歷史上一再發生的治亂循環以及經濟發展被社會整合危機中斷,不是沒有可能再次發生的」と指摘。近代中国の経済発展は鄧小平の1978年の十一期三中全会以降の今のこればかりでなく二十世紀初の1920年までの20年もあつたが1911年の辛亥革命亜細亜で最初、世界で最大規模の共和国が誕生したが経済発展に比べ近代の政治改革も着工したが沿海の都市部の発展に比べ内地は十九世紀以前の社会と何ら変化もなかつた点は今日の経済成長と社会改革と同様。<超隠定構造>による中国社会の定義は、まづ政治面では「皇帝を中心とした強力な一大官僚機構によつて控制がなされてゐる」こと。そして儒教。この二つが相関し社会は変化を好まず制度内での腐敗や矛盾の累積があり、その体制が崩潰すると大きな動乱が発生するが、その結果として生まれた新しい国家体制もまた儒教社会での皇帝を中心とした一大官僚機構で……と、それが中国の悠久の歴史となる。1949年に誕生した中共の共和国もさうした意味では、この超隠定構造の国家体制といふ意味では数千年来の国家体制と何ら変はらぬ。この未曾有の経済発展のなかで貧富格差や官僚支配の腐敗など問題点がこれまでになく拡大してゐる点が最も懸念されるところ、と。

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