富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-08-21

八月廿一日(金)快晴酷暑。宿酔気味。かつてはかなり痛飲でもせぬかぎり宿酔など恐れもしなかつたが昨晩だつてちよつと……食事中での紹興酒とバーSでハイボールで次はマティーニを二度、で最後にニッカ余市カスク酒を賞味させていたゞいただけ、でそれが飲み過ぎと言はれたらそれまでだが、アタシ的には「この程度」なのにバーを出たあたりから帰宅しての記憶が曖昧。で今日はずつと体調すぐれぬまゝ「元八の野菜たつぷりの太麺のラーメンが食べたい」と思ひ續け早晩に銅鑼湾のCity'superのフードコートで元八。香港文化中心で京崑劇場と山東省京劇院の舞台で『金玉奴』通しで見る。親子の情、若い男女の相思相愛と破局、男の野心、出世願ふ狡さ、滑稽さ、など実によく話に含まれる。ずつと観たいと思つてゐたがなか/\通しで掛からず。今回は香港生まれでジュネーブ音楽院だかでピアノ専攻といふ異色の経歴もち京崑劇場をば主催する鄧宛霞がヒロインの金玉奴役で玉奴に命助けられる秀才美男の莫稽を演じるのが山東省京劇院の耿天元。玉奴の父・金松が京劇界でも名丑と賞される王玉瑾。節制した舞台構成。親子の情、若い男女の相思相愛と破局、男の野心、出世願ふ狡さ、滑稽さ、など実によく話に含まれ期待通りの面白さ。ずつと観たいと思つてゐたがなか/\通しで掛からず。楽隊が、といふか板鼓担当が上手(かみて)でコンサートマスター的に鐘太鼓、舞台下手の絃樂器をまとめるのだが、この方(魯華、張培才といふ二人の名前がパンフレットにあり今晩と明晩の交替で今晩はいづれの方かわからぬ)のその仕切りの見事さと板鼓の奏法がそりや見事。舞台跳ね少なからぬ客がこの方への拍手喝采、讚辞あり。終はつてペニンスラホテルのバーで獨酌……と思つたが帰宅して酒なしで鴨志田穣の『酔いがさめたら、うちに帰ろう』讀む。うーん、とアル中の怖さもさることながら鴨志田穣の人柄、妻である西原理恵子や母のこと、病院でのアル中患者「同寮」の生態、そして「どうしてアル中になつたか」を同病の患者らに聞かせる体験発表の独り語り(そこにバンコクで出会つた橋田信介氏が登場するのだが)……つい惹き込まれ讀み終はつたら深夜二時。
▼『金玉奴』は京劇の有名な狂言の一つ。(以下、あらすじ)乞食の頭である金松には玉奴といふ美しい娘あり。大雪で極寒の日、若い男が家の門外で行き倒れるを見て助ける。莫稽と名乗つた青年は秀才で科挙の試験を受けに上京する途中に旅費尽きての餓ゑ。玉奴は莫稽をば家に招きいれ一杯の小豆のスープを与へ莫稽は命をとりとめる。莫稽は秀才なばかりか礼儀正しく美男。玉奴は莫稽と相思相愛となり結婚、莫稽は婿となり乞食で糊口を凌ぐ父娘の献身的な支へで莫稽は学業に勤しみ上京し科挙の試験受け合格。莫稽は目出度く科挙に通り江西は絀化縣令を拝命。父と玉奴も喜んだが莫稽は態度一変し父娘に厳しく当る。素姓が乞食ゆゑ莫稽自らの地位では妻と義父のその振るまひや作法が貧しく不愉快。任地に向ふ途中の船旅でも莫稽は義父を奴隷のやうに扱き使ひ玉奴は夫の冷徹薄情に落胆し、いつそのこと河に飛び込み、と思ふが父に諌められるほど。だが莫稽は義父を罵り酔つた勢ひで玉奴を船から河に突き落とし、義父には「玉奴が足を滑られて河に落ちた」と嘘を言ひ義父は娘を探しに船から去る。こゝで中入り。江西巡按を拝命の高官・林大人は夫人を連れて河西省に至る船の旅。二人は愛する娘を病に亡くし落胆の旅路であつたが河に溺れる女(玉奴)をば救ふと死んだはずの娘に瓜二つ。玉奴から素姓と出来事を聞き離れ離れの父を按ずる玉奴を不憫に思ひ養女に迎へ入れ、父・金松を探し出してやる。林大人は絀化縣に入り縣令(莫稽)から当地の事情形勢安否の上奏を受ける。大人「で、そなたは妻があつて?」と話を向ける。莫稽は「思ひ出すも涙……」と赴任の船旅で愛妻が河に過つて落ちて行方知れず。もうこの世には……」と泣いて語つてみせると林大人「そりや不憫。だがそなたも独り身では辛からう」と自分の娘を妻にどうか、と仕向ける。莫稽にとつては朝廷の巡按ほどの高官の娘婿になれるとは幸甚。さつそく婚礼となり大詰め。嬉々として祝宴に現れる莫稽。林大人の家来らは新郎を打ち叩くは土地の風習とするが莫稽の狡さを識るゆゑ、つい打ち叩くにも力が入り、こてんぱに打ちのめされる莫稽。新娵は掛簾越しに夫となる莫稽に質す。アタシと婚約するのは本当にアタシを愛してゐるからか、父の地位ゆゑにはなからう、父とアタシを本当に遠い先まで面倒見てくれるのか……と。勿論、勿論と莫稽は答へるが「もし父が失職して身分失つても父を奴隷の如く使はぬか?」と質され、妻となる娘の顔をば拝むとそれが玉奴。玉奴の幽霊が現れた、と気が動顛した莫稽は祝言の場に臨んだ林大人夫妻を前に自分のした悪行をば曝露。林夫妻は玉奴に莫稽も深く反省してゐるから、と許して再縁しては?と告げるが玉奴は自分への仕打ちもひどいが父を奴隷のやうに使つた莫稽の非情が許せぬ、と哭く。金松も現れ「もし玉奴があの大雪の寒い晩にこの男を救はず小豆のスープ一杯飲ませなかつたら今頃こゝに命もなからう。科挙の考査とて上京の途中、自分が物乞ひまでして食糧を得て糊口凌いだんぢやないか。それが科挙に受かり役職をば拝命したらの餓ゑるほどの貧しさを知るのは貴様も俺と娘も同然の筈が悪態。それが許されようか」と。林大人も金松と玉奴の指摘は尤も、と莫稽の役職剥奪、朝廷の処分裁定待命と処す。金松と玉奴の父娘は故郷に帰つて暮さうと決めるが林夫妻は玉奴はもう林家の養女だからと二人は此処に仕合せに暮すが良い、として終はる。『金玉奴』は『豆汁記』といふ題もあり。元々の筋は莫稽が猛省して二人が復縁して目出度し、だつた由。プロレタリアート的な演劇改革の中で今の筋になつたのかしら、と勝手に察す。
武夷山での観光業や日本での不動産投資など麻薬中毒の若者救済のNGOにしては投機的資産運営があり会計監査のない年度があつたり運営の不明朗さ指摘された基督教正生會と正生書院にICAC(廉政公署)のガサ入れあり書院や理事長、校長宅から会計書類など押収の由。ランタオ島の芝麻湾の苫屋から梅窩の休校中学建物借りての移転問題で世論が一気に「正義」と見た正生書院が、まるで疑惑の渦中に。今年九月の新年度は「老朽校舎で受入れ生徒数限界超過」として新入生受入れせぬと決定してゐたが、これも「他に事情あって」と憶測される始末。
▼「この十年間、(自民党は)政権交替を何とか耐へてきた。(略)これだけの逆風、よほどのことがない限り、政権交代は実現する」と断言するのは……小泉三世、やはり変人(嗤)。自民党をぶつ壊す!と宣ひながら郵政選挙で大勝して「結果的に自民党を強くしたぢやないか」と思つたが結果的にこれ。朝日に續き今日、読売と日経も民主300議席も予想。築地のH君曰く、自民党120議席だとしたら半分の60は比例区選出=所属政党の変更能はず内部崩潰しても自民党と心中せねばならぬ。自民党が例へば公明党社民党と歴史的合併したりすれば(笑)新党での議員資格あるが極端な話、解党したらどうなるのかしら。選挙区選でこの逆風のなか民主党候補に勝つて出てくる自民党議員てのは相当に選挙に強い=端の利く連中だからホントに自民党がもうダメならさつさと出てしまふ鴨。すると「どうしても自民党を出られない」前述の比例区組や舛添君、石原伸晃君ら最低60議席くらゐの自民党が残る。この人たちは何にアイデンティティを見出すのかしら。民主党が「中道左派」色を強めてゐるからやつぱり「保守」を旗印に森喜朗路線で憲法改正とか核武装とか日の丸君が代の義務化とか、もう極端な反動政党として突つ走る? その場合にはやはり「リーダーがゐない」のが弱点。舛添総裁に極右政党の看板が務まるか。石原伸晃君あたりなら父の徳義嗣ぎ案外嬉々として演じられる鴨。H君が上手く言ひ当てゝ、昔の自民党が『文藝春秋』なら選挙後の自民党は『諸君』『正論』で、旧社会党が『世界』なら社民党は『ロスジェネ』で、民主党は『論座』でみんなの党や橋下・中田が『VOICE』だと。今回の選挙は通過点で次の政界再編成に期待したが民主党も300議席にもなつたら(参院もあれだけの多数で)前原君ら党内右派も自民党右派と新党結成などするより党内でハト派と拮抗する方が(実にかつての自民党みたいだが)得策。それぢやかつての半永久政権化した自民党と一緒か。

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酔いがさめたら、うちに帰ろう。

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