富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-08-20

陰暦七月初一。連日の快晴猛暑。総領事館で在外で衆院選挙の投票に参る。在外選挙人証の交付受けて平成12年の第42回衆議院選挙(比例代表制)からの投票はアタシは七回目(おそらく全て)で選挙人証も記入欄が一杯。選挙好きなのですでに近い将来の衆院解散政界再編総選挙に向け已に新しい選挙人証を受領してゐるが(笑)。前回の参院選挙で比例区の他に選挙区選挙、衆院は今回から小選挙区も投票可で、アタシは今回、公明党も推薦にまはつた絆創膏王子に一票入れることも能ふ。在外公館にしてみれば全国全ての小選挙区扱ふのだから手間はかなりのもの。しかもアタシの地元の選挙区なんて市町村合併したものゝ市の一部が合併以前の選挙区のまゝ。それにしても在外公館での投票は在外選挙人登録してゐる国民が少ない上に投票期間も長いから(今回、香港は六日間)どうしたつて投票所は閑散。対応する館員の方が案内、受付、本人確認、立会人で六、七名もゐるから何だかこつちのはうが窮屈な思ひ。前回の参議院選挙の投票の時なんざ受付で説明するのが、ちやうど総領事が当番の時に当つちまつて(館員全員が必ず当番をする、つて原則で総領事もほんの数回、数十分の当番についてゐた由)ついアツシがペコ/\しちまひ、まるで大正十四年の普通選挙で投票する平民のやう。アタシは二十歳で選挙権を得た頃に「選挙では政権党に対して野党第一党に入れるのが政局を面白くする」つて理窟を何かの本で讀み「社会党に投票」の習慣がついてゐたがとふ/\これまでアタシの一票が政局面白くしたことなど一度もなかつたが今回は「民主党三百議席窺ふ勢ひ」と今朝の朝日新聞自民党苦戦で現有三百議席の半数に届かず更に大きく後退の可能性といふ。自民党の選挙手段が「麻生隠し」(笑)とは情けない。文藝春秋(九月号)で中曽根大勲位ナベツネ君対談で自民党が百議席減までなら復活の可能性あり自民と民主の増減が百五十に達したら自民党は半永久的に野党と放談してゐたがどうなることか……。投票のあとJollibee Burgerに昼を食す。Jollibeeはフィリピンのファーストフードチェーンでフィリピン人が十数万人働く香港では彼女らが週末に集ふ中環に当然のやうにJollibeeがあり平日でも入ればそこはマニラ。ハンバーガーにパイナップルが挿んであるアロハバーガー、アトはフィリピン系御飯物がいくつかあるだけ。で単品で20数ドルは麥奴などよりずつとお高いのだがフィリピン人はやはりJollibeeを食すと故郷の味なのだらう。晩に中文大学U氏の招飲受け湾仔の杭州飯店。香港総商會のL女士らと或る策略など款語尽きず。帰りにバーSに寄り獨酌。バーSで鴨志田穣の『酔ひがさめたら、うちに帰らう』拝借。アタシは幸ひアル中になるほど酒浸りでもないが溺れさうなフシもなきにしもあらず小心/\。
▼Monocle誌九月号の別冊特集"Singapore Survey”讀む。Monocle誌のサーベイのやうだが金融、経済、貿易、観光から教育、都市交通、住宅環境までシンガポールべた褒めの提灯記事満載で呆れるばかり。当然、一党独裁の政治環境など触れもせず何ら憂ひもなき夢の未来都市を紹介するのは提供がEDB(Singapore Economic Development Board)ゆゑ。シンガポール政府が自国宣伝するのは勝手だがMonocleといふ雑誌が独自性売り物にするやうな姿勢を見せつゝ提灯記事冊子とは恥知らず。目を皿のやうにして讀めば唯一、メディアの紹介の文章に“The words Singapore and media have not always sat comfortably in print”とかなり婉曲な表現これ一つだけが多少ホンネで後は宣伝ばつかり。所詮、この雑誌の似非ぶり、Tyler Brûlé氏の胡散臭さの証左か。信報もまだ性懲りもなく李嘉誠系のLohasマンション分譲宣伝でLohas系小冊子を発行。第三号では安藤忠雄氏も紹介されてゐたが安藤氏は自分が香港でLohasなんて発想からは程遠い劣悪な環境で疑似ナチュラルライフをば演出した聚合住宅の分譲宣伝に自分が使はれてゐるとはご存知ないだらう。
澳門のカジノ王・何鴻燊(スタンレー・ホー)氏が第三夫人宅でだつたか顛倒し頭を打ち脳内出血で入院して容態の良否が噂され續けるが第四夫人の他に看護婦あがりの第五夫人の存在まで顕かになり御大にもしものことあらば……と考へると他人事ながら平和裡にはいかぬだらう。正妻は已逝してをり謂わば側室から正妻となつた第二夫人(藍瓊纓)が睨みをきかしホー氏の賭博業・観光・地産などで実権握るのも第二夫人の長女(何超瓊)と末子の長男(何猷龍)だが他に十四人だかの息子・娘があり正妻の長女と第四夫人の末子の年齢は五十歳以上違ふのではないかしら(上原謙も真つ青)。マスコミ対策などで厳戒機密体制の敷かれる港安病院でホー氏の病室に入れるのは第二夫人の肝いりで正妻の子二人と自らを含む夫人三名、それに第二夫人の子の内でも前述の超瓊と猷龍だけ、で他の息子娘らはガラス越しでの見舞ひしか許されぬそふ。誰が医者を招くか、でも確執あり、第三夫人がホー氏の看護に、と看護婦あがりの第五夫人を呼んだところ一族から「なんでこの女を呼ばしやつつか」と批難轟々で面会も許されず……と話題事欠かず。
民主党の鹿児島での新人候補出陣式で「日の丸」切つて緤ぎ合はせ民主党旗に(朝日)。まさに眼から鱗。四半世紀以上前にジャズ風に編曲の「君が代」を慥か「80年代」つて雑誌だつたか(保坂展人氏らの編輯だつた記憶あり)附録のソノシート(懐かしい)で聴いて以来の新鮮さ。こんな編曲もありなんだ、と感心したが、「あり」どころか、この「君が代」は或る教員がピアノ演奏拒めず良心の呵責に耐へかねジャズ風に編曲し演奏し処分されたもの。数日前の朝日に1999年の国旗国歌法の成立に伴ふ逸話あり。この法制化、かなり強制的で不愉快であつたが野中広務氏がこの朝日の取材に答へた内容が興味深い。広島の県立高校長が卒業式を前に式典で「日の丸掲揚・君が代斉唱」を求める県教委と反対する教師との板挟みを苦慮して自殺。野中氏(当時、官房長官)は「こんなことで人を死なすのは不幸だと考へ」参院で「法制化しない」と発言したばかりの小渕首相をば説き伏せ法制化を図つた、と云ふ。野中先生らしい美談のやうだがよく/\考へると「抗争が絶えないから暴力団も合法化」のやうな話。で具体的には日の丸と君が代を国旗、国歌と定めた二つの条に續き第三条に
国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。(第二項)国及び地方公共団体は、政令の定めるところによりその管理する建造物において国旗を掲揚しなければならない。(第三項)国民は、祝日に国旗を掲揚するよう努めるものとする。
と草案にあり。強制に反発が予想され第二案では
国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
とだけ残る。が法制局第二部の参事官が「例えば君が代の旋律を変えて演奏したら尊重しないことになるのか」など省内で質問を投げかけ「国民は」の主語が削られ受動態となり
国旗及び国歌は、尊重されなければならない。
とまでなつたが、「尊重義務を書けば罰則がなくても「義務を守らないのはけしからん」と言ひ出す人がゐる余地はないはうがいゝ」(古川貞二郎官房副長官)といふ意見もあり野中長官も火種、政争の具になるだらう第三条は「残さん方がいゝ」と答へた由。で第四案では
国旗及び国歌は、尊厳が保たれるように扱われなければならない。
とまで婉曲な表現となつたものゝ最終的には姿を消したもの。それで良かつた気がするが、結果的には悲しいかな東京都教委のやうに強制もあり義務どころか「戦争といはれれば戦争、民主主義といはれれば民主主義」の順応性で当たり前のやうに国旗・国歌で定着し近ごろは「日の丸」「君が代」といふだけで非国民的左傾と思はれがち。「卒業生入場、皆さまご起立ください」で立たせておいて、そのまゝ「国歌斉唱」に導く作法が定着は誰が考へたのかお見事。「(国旗国歌法)成立直後の8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式で『国歌斉唱、ご唱和願います』と放送が流れた。国会で『義務を課すものではない』と言っていたのに非常に違和感を持った。君が代を歌わないととやかく言われたり、国旗に敬礼しなければいけなかったりする社会は窮屈だ。歌いたくなければ歌わずに済む社会が私はいい」と、これが岩波朝日文化人の発言のやう。だが元内閣法制局長官たる方の発言なのだ。野中先生の「こんなことで人を死なすのは不幸だ」の思ひやりが結果的には多くを生殺しとは……。日の丸といへば森喜朗先生曰く「民主党が政権をとったら国の行事で全部日の丸が降ろされるんじゃないですか。静かなる日本の革命が今起きつつあることに全然気づいていない」「あっという間に国家の基本がなくなってしまうことになりかねない」。森君に日の丸掲揚強制されるよか静かなる日本の革命に期待したゐ(笑)。

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