富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-08-19

八月十九日(水)解熱剤が効いたか冷房消して寝たのが幸ひしたか調子よく夜明けに目覚む。が朝食の頃に悪寒ありひどく手足が震へ熱い風呂に漬り臥床。悪寒は治まつたが今度はかなりの発熱のやう。この旅寓、客室の拡充は良いが体温計も備へてをらず。氷を貰ひ頭を冷やしながら昼まで休養。旅にあれば、と思ふがどうせ元気でも旅寓のプールサイドの木陰に憩ふだけだから、プールサイドか寝室か、の差でしかない長閑。健一さんの『酒肴酒』読了。健一さんの酒と食に関する随筆はそりや面白いが、やつぱりそれが「あまカラ」とか銀座百点とかさういふ冊子に一つあるから面白いので、これでもか、これでもかと続けて讀むと鳥渡、食傷気味なのが本音。でもね、銀座の交詢社のピルセンとか岡田や蕎麦のよし田にふらりと入つたら健一さんが飲んでたら、そりや楽しいだらう。ところで健一さんからの孫引きになるがバルザックの「おどけ草子」から、或る若い、まだほんの少年の僧がイムペリアと云ふ名高い遊女の許に忍び込む場面、それの神西清氏による名訳を綴つておかう。
……やがて腰元に手を引かれて一間へ通つてみたれば、奧方ははや力くらべの對手を待顏に、裳束も?がれておぢやつた。金銀ちりばめた毛氈も、珍烹佳肴の數々にとこち狹ゐほどであつたに、又その傍な奧方の美々しひは、月日も遠く及ばぬげに見えた。珍陀の壺、「ぎやまん」の盃、鬱鬯の甕、「きぷろす」の酒綶、藥味の玉手箱、孔雀の丸燒、罭縠の汁、鹽漬の豚なんど、萬一「いむぺりあ」を慕ふ心さへござなんだら、隨分とこの伊達者の眼を樂しまいたでもあつたらう。なれど、若僧がぢつと眼を放たゐで見守つたは、奧方のあへかな姿であつたれば……
解熱剤と氷嚢でかなり無理矢理の熱冷し。さうでもせぬと香港入境の際に体温検査でひつかゝりもせば帰宅も能はず収監か。出歩いてゐたZ嬢戻り買つてきてくれた体温計でぼんやりと検温すると体温は摂氏39.4度で「そんなはずなからう」と驚いたら外気が摂氏32度だかでZ嬢が持ち歩いてゐた間に体温計も水銀が上昇してゐたもの。測り直すと摂氏37.4度。今朝方はいつたい何度だつたのかしら。ホテルの食堂で昼餉。さすがに葡萄酒を飲む気にもなれず。海鮮の炊込み御飯。午後三時にチェックアウト。ぢつに十九時間ぶりに娑婆に出てホテルの自動車でフェリーターミナル。香港に戻る。露伴『骨董』讀む。遅晩に陋宅樓上の子供二人走り回り騒々しきこと甚だし。その隣室は晩三更にピアノ弾く気狂ひ家族。親の躾け行き届かず子供も子供で非常識の我が儘に育ち更に問題は住居の「快適さ」ゆゑ。昔なら晩は家ぢゆうの照明すら薄暗く兄弟で走り回るには危なく晩とて蒸して走り回らうものなら汗だくで子供とて不愉快極まりなし。それが照明は煌々で冷凍庫のやうな冷房の寒さでは動きまわり暖をとらねば子供とて寒いほど。荷風先生も近隣の晩のラジオの噪音に悩まされ隣人が寝入るまで晩は出街を常とせしこと思ひ出す。解熱剤で無理矢理に熱を下げてゐるぶん体調芳しからず寝床でカメラ雑誌、木村伊兵衞『僕とライカ』讀む。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ

僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ