富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-08-11

八月十一日(火)夜明けに地震で建物ミシ/\と。静岡の焼津から御前崎で震度六弱の由。大雨洪水警報まで出て泣きつ面に蜂。この午前五時の地震
1 すでに起きてゐた
2 地震で起こされた
3 地震にも気がつかず爆睡してゐた
で「老い」の具合がわかるといふもの。アタシは当然「1」ですが。六本木界隈、夜半から朝方にかけ警察車輛のサイレンが少なからず。新宿歌舞伎町よか物騒なのかしら。六本木山荘は麻薬蔓延ださうだし(笑)。いつたひ今日はだうしやうという雨模様。ふと六本木山荘の森美術館艾未未展やつてゐること思ひ出し朝イチで参観。超高層ビルの50数階になぜこんな広大な空間があるのかしら、と器にまづ驚き巨大な木材のオブジェなどだうやつて持ち上げたのかしら、と、おそらく空輸で屋上のヘリポートから下ろした鴨。艾未未といふ藝術家の作品はわかりやすい象徴性。だからウケる。立派。空間としては都市の変化を歴史として刻みつける。悪天候の朝イチで静か。雨雲にかすむ都心を展望台から眺む。長徳先生のこのビルのオフィスの窓からのスナップ写真で知つてはゐたが東京タワーを上から見下ろすヘンな感覚。昇降機で下らうとしたら職員は「こちらでお待ちください」「エレベータが来ましたらお知らせいたします」「先に下りる方が済んでから」と慇懃に指示ばかり。混雑してゐるならまだしも客はアタシ一人、六機ある昇降機のどれかが来たら乗つて下りるだけ。しかも昇つてくる機に乗客がゐるとも思へず……で辟易としつゝ昇降機に乗つたら職員は深く礼しながら扉閉まらうとするなか「一度、エレベータで下に下りられますと再入場出来ませんのでご諒承ください」と(笑)。そのコメントこそ先に言へ。雨が歇む。六本木から地下鉄で東銀座。木挽町歌舞伎座はちやうど第一部一つ目の「天保遊侠録」が始まつたところでアタシは仁侠物は見る気もなく二つ目の「六歌仙容彩(ろつかせんすがたのいろどり)」の一幕見は並ぶ客もをらず幸ひ。胃痛は少し治まつてゐるのでお昼用に木村家のあんパン一つ、教文堂で徳永康元ブダペストの古本屋』(ちくま文庫)購つて歌舞伎座に戻り列の先頭で『ブダペスト』讀む。本当は村上湛君に誘はれての「六歌仙」だつたが朝の雨がひどく百粍だかの大雨なんて天気予報に「今日は止めませふ」としたのに銀座に来たら空に晴れ間すら現れるんだから。小野小町福助)對手に六歌仙の五人をば三津五郎が踊る。十代目襲名する前の八十助の頃から今の役者の中ぢや格別踊りは上手。七代目「踊りの神様」三津五郎の業平の踊りを実家で書籍片づけてゐて昭和卅年くらゐの芝居雑誌で見たがぽつちやりと可愛らしい業平。六歌仙はもつと華やかかと思つたが地味な踊りも多くせつかくの三津五郎にも、やはり四階の天井桟敷は踊りには踊り見るにはつらい。母が連れた幼児二人がずつと五月蝿く肝心の清元、長唄もよく聴こえず残念。午後遅く神保町。古書商いくつか眺め歩く。新宿。颱風も逸れたやうで爽やかな青空。営団新都心線に三丁目から初めて渋谷まで乗つて恵比寿。Z嬢と駅前で待ち合はせ「さいき」。此処だけは変はつてゐない、と入つて席に着くとカウンターのいかにも常連四、五人の談合の中にすつかり白髪になられたが旧知のK氏とT氏のお二人に邂逅。二十年以上前に広尾にあつた和亭といふ酒処でZ嬢とアタシがそこでさんざん可愛がつていたゞいた数名の酒呑みご常連の内のお二方。二十年ぶりだが先方も覚えてゐてくださり昔語り。ぢつに「さいき」だからこんな再会もありか。海老しんじよが美味。お二人に再会約しZ嬢と麻布十番。胃痛も快方に向ふ。永坂更科が店終い前で蕎麦を食ふ。昔から更科に入つたことなく初めて。で怪人二十面相現れさうな裡道のバーHにZ嬢お連れして一飲。二月末に初めて以来。ぢつに深閑。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

ブダペストの古本屋 (ちくま文庫)

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