富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-08-01

八月朔日(土)今にして想へば「君が御胸に抱かれて聴くは夢の舟唄恋の唄〜」なんて小学生の時に唄つてゐたんだよねぇ……蘇州の水路は舟唄を君に抱かれて聴くには城内の人口も多すぎて生活用水だからロマンチックではないだらう。水路に沿つた家屋の水屋から排水が流れ出るのは鳥渡困つたもの。たゞ今でも洗濯したり顔を洗つたりする人も少なからず。今朝は明け方から大雨。七時過ぎにホテル出る頃には小止みに。幸ひ。晴れたり曇つたり。平江路も朝は人通りも少なく小雨に映える。白塔路に出て饅頭屋にでも朝餉と考へたら白塔路に出たところに行列出来る焼饅頭や油條賣る肆あり。俞記と云ふが俞記緑色大餠と云ふ屋號で饅頭が緑色の草餅か、とゐふとさにあらず。小汚い肆の土間で勝手に食し豆乳飲む。どうれあれ美味。白塔路は青葉眩しい街路樹が通りを覆ふ。さきほどの饅頭屋の他にも「緑色」と看板に掲げる肆が数軒……どうやら杜の都仙台ぢやないが白塔路の街路樹に因んだ「緑色」らしい。白塔路の東の突当りが蘇州動物園。東園といふ公園を抜けて城河の城内の小島が動物園。改装中だつたがパンダや猛獣が目の前まで現れ、開園直後の餌付けの時間で(それを狙つて早朝に訪れたのだが)どの獣類も元気旺盛で見応へあり。Z嬢と毎年夏の旅行は何処でも動物園訪れるが、こんなに涼しいのも珍しい。蘇州に来れば庭園の一つも訪れたいが拙政園の前を通り参観者の数に恐れをなし入らず。蘇州美術館。展示品よりも貝聿銘(I.M.Pei)設計の新刊の建築が見たかつたが入場料無料のため賑やかさはデパートの夏の昆虫爬虫類展のやう。晴れると猛暑で館内の冷房が目当てかしら、と思ふのは隣接の美術館の一部となつてゐる太平天国の史蹟・忠王府に来る人少なく静か。I.M.Peiは広州の人だが貝家の原籍は蘇州。で香港の他I.M.Peiでは中国で初となつた蘇州の美術館の設計。蘇州らしいデザインを見事に現代建築に複合してゐる、が実は蘇州動物園の獣舎もちやんと蘇州の伝統家屋建築だつたのが印象的。西北街の扇屋など覗く。檀扇が有名だが京都や金澤などの扇を見慣れた目には中国の扇子はどうも面白くない。曇り空がだんだんと晴れ間多くなり猛暑。路線バスで西の城外、石路。山塘路は昔の建物がかなり残る一帯だが観光開発しすぎ。蘇州の茶舗玉露春があり碧螺春の新茶購ふ。往路、西中市でかなり賑はふ老舗の麺屋あり。昼すぎ訪れると崑山奥灶麺。麺は至極美味いのだが、どうしてもあの蘇州好みの甘い醤油仕立のスープにアタシは慣れない。路線バスでホテルに戻ると午後は雨となる。午睡。早晩にタクシー雇ひ金鶏湖東の園區。藍海(Deep Blue)といふ新加坡海鮮が売り物の食肆。I君夫妻の結婚祝ひバンコクY夫妻、広州からO君と集ふ。金鶏湖見渡す個室は専用のバルコニーつき。Dom Pérignonで乾盃してさくさくつと二本。山西省怡園(Grace Vineyard)のTasya’s ReserveのCab Sauv 04年。そして同園のDeep Blueの05年を飲む。DBは04年がかなり上出来でいきなり評判を得たと記憶するが05年はちよつと軽めで風味は充分なメロー。今晩の食肆と同じ名なのは偶然。料理は海鮮で赤?といふ感じだが味付けが桂魚はカレー味だつたり唐辛子や蕃茄など使つた「これでもか」の慥かにマレー系でSingaporean Seafoodと謳ふのも納得で赤葡萄酒がとてもよく合ふ。怡園の葡萄酒は最上級にChairman’s Reserveあり、これはまだ未試過で誰か漁つてくれないかしら。宴会終はつてY夫妻とタクシーで城内に戻る。やつぱり遠すぎ。ホテルに戻り十時半過ぎ寝入る。
▼蘇州工業圓區。巨大なコンベンションセンター、ショッピングセンター、ホテルや娯楽施設など未来都市のやう。此処に限らず慥かに自動車道の整備は大切だらうがせつかくのコンプレックスも八車線の広い道路で区切つてしまつては全てが孤立してしまつてどこか空疎。金鶏湖岸の現代休閑広場なんてとてもシンガポール的なのはこの地域一帯の開発がシンガポールとの合辧と聞いて納得。それにしても工業圓區(Industrial Park)といふ名称。工業と公園といふ本来は相対する二つを合はせ環境豊かな産業地区の建設を企図したところが現代的。中国とシンガポールといふ発展型の強権国家らしい未来志向は1994年に計画が始まり15年目。箱は作つてみたがバブルは崩潰し市内からの距離は遠く期待の地下鉄開通もまだ三、四年先。ショッピングセンターは日本と合辧の百貨店、Toysrusや高級ブランド店など閑古鳥が啼き飲食店の低迷は低迷で閉業したまゝの廛補が虚しい。城内は伝統的な都市構造保存のため開発制限され市の郊外に産業區建設で蘇州の「産業化された文化と歴史の都市」建設を狙つたのだらうが。城内の水路はアタシは顔を洗つたり洗濯したりには鳥渡二の足を踏むと思つたがY氏の話では80年代前半など水路はドブ川情態で悪臭が城内にたゞよつてゐた、といふ。それが改革開放で観光客誘致策で「東洋のベニス」「水の都」と水路の環境もかなり改善され、それを思へば今の水路はまだマシ、とY氏より聞く。

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