富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-07-11

七月十一日(土)午前中にジム。午後に打合せ一つ済ませ外に出ると大雨の後。一旦帰宅して早晩にZ嬢とFCCに夕餉済ませフェリーで尖沙咀。太空館で喜多川かし子刀自オマージュの特集で山田洋次監督『男はつらいよ』で「夕焼け小焼け」(1973年)観る。連作の中でも、この「夕焼け小焼け」はアタシの好きな太地喜和子がマドンナで芸者役を好演するが何といつても老画家青観演じる宇野重吉と故郷播州龍野の昔の恋人お志乃さんの岡田嘉子が見事。当時、重吉が62歳にしては老成した姿を演じれば、ソ連から35年ぶりに戻つた翌年で復帰第一作の岡田嘉子(当時71歳)が古風で美しい。重吉が「アナタを仕合せに出来なかつた」と後悔を口にすると嘉子が「人生には後悔がつきもの」と達観を見せる。演技のセリフなのだが重吉の「アナタを仕合せに出来なかつた」のも嘉子が「人生には後悔がつきもの」と返すのも、山田洋次がこの二人にだから言つてもらへたセリフ。二人とも戦前に築地小劇場に始まる左翼演劇が役者としての初まりで長い人生の、その反思がこのセリフのやりとりに滲み出て、翌朝、青観が町を立ち去る時、見送る志乃の路道の立ち姿と自動車から振り返る重吉の、二人の万感の想ひが溢れる。青観先生に寅が「ぼたん」救ふのに「絵の一枚を描いてくれ」と頼むと先生に「カネのために描いてゐるんぢやない」と断れると「貧乏人の寂しいジヽイだと思つたから面倒みてやつたのに、なんでぇこんな立派な暮らししやがつて」と悪態つくあたりも、まだ寅に初期の頃は青さや怖さもあり。他にも神保町の大雅堂主人役の大滝秀治久米明龍野市長)、佐野浅夫などが脇を固め龍野の観光課長役の桜井センリが可笑しい。この「夕焼け」もテレビなどでは何度も観てはゐるが劇場では初めて。資料によれば1973年当時、これと同時上映は山根成之監督で財津一郎主演の『忍術 猿飛佐助』つてこれも面白さう。
▼今週のThe Economist紙は、ウイグル族旧ソ連圏や阿富汗斯担など伊斯蘭圏諸国との国境越えた連帯があり昨年の北京オリムピックの際もテロ警戒でホテルはウイグル系の宿泊者がゐた場合は当局への報告が求められてゐたことなど挙げ北京中央がどれだけウイグル族への警戒が強かつたか、を指摘。興味深き点は米国がこれにどう対応するか、であり、なぜなら「伊斯蘭圏のうち情勢が不安定な地域でウイグルは唯一、公的に「米国を敵と見なしてゐない」地域であること」を挙げてゐる。なるほどねぇ。米国が対伊斯蘭、殊に反米的なる伊斯蘭との対応で「ウイグル」はどう上手く扱ふか、なのだと。また中国の共産党漢民族といふ政治と民族の二つの巨大な支配のなかで法輪功キリスト教徒もあるが75百万の党員を有する中共に国内の敵対勢力とまではなつてをらず、チベットウイグルの二つこそ中国政府の「自由を代償とした経済成長」を受入れてをらぬ巨大な対抗勢力であること。
▼FT紙の週末版で中国政府が認める55の少数民族は人口が123百万人で総人口の9.5%占めるが「そのうちチベットウイグルだけがnationalityとして認められてゐる」といふ記述あり。これがアタシは意味不明。nationalityを「国籍」ととるか「民族」ととるか。中国でも(国籍のわけがないので)この二つについては他の少数民族より「民族」として扱ひが違ふ?といふこと、或いは国際慣例としてnationality問はれる際にチベットウイグルはnationalityとして認識されるといふこと?
▼人民日報英語版としてのChina Daily、今日の一面トップが香港で親中派御用政党・民建聯の結党十七周年で中聯辧香港トップや文革曽、政務唐、司法黄、財務髭曽ら鳩り祝賀会。ウイグル報道は“Urumqi looks to the future with Friday prayer”と海外メディアがウルムチでモスク閉鎖される報道伝へるのに対して「ウルムチで伊斯蘭教徒が再開された寺院で金曜の祈祷」と紹介しウイグル住民が「一月五日の騒乱起こしたのは真の伊斯蘭教徒ではない」とコメントは反中央政府は伊斯蘭勢力ではない、としたい政府の意向の現れ。またウルムチ市内で混乱からの恢復で騒乱で被害かうむつた市場の復興に協力する頼もしい武装警察の姿である。新聞を讀むだけで政府が何をどう扱ひたいのか、わかりやすいといへば慥かに(笑)。

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