富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-07-04

七月四日(土)午前中ジム。昼前にZ嬢とバスで九龍から大老山の隧道潜り沙田第一城。馬鞍山線の電車に乗ると車内で強烈に化粧する方が偶然にお二人も。公衆の面前でよくも熱心に化粧できるものと呆れるばかり。失礼承知で言へば二人とも化粧よか車公廟でも参拝して霊験でも得たはうが仕合せにならうもの。でアタシらは車公廟站で下車して文化博物館。"L'âge d'or de la couture : Paris et Londres 1947–1957"と題してChristian Diorの服飾の絢爛なる蒐集の展示、は倫敦のVAMのもの、と知つて納得。夜総ドレスも美しいがこの時代の働く女性のビジネススーツの機能性がまた美しい。沙田のショッピングセンター辟易としつゝ抜けて排頭村のWなるカフェレストランに昼を食す。所謂「自然天然系」の食肆で寛ぎこそ大切だと思ふが冷凍庫のやうな寒冷、坐り難い椅子、最低消費が一人HK$10だのセットメニューで飲み物註文せず後からの註文の時の価格は、だの註文せぬ客は云々と異常なほどの規則貼り出され嬉しくない。昼寝気分で170系統のバスで銅鑼湾。そごふの旭屋書店でカメラ雑誌受領。オリンパスが「ペン」の名を復活させてE-P1発売。日本カメラ一月号が「ペン」特集の特別附録。アタシが父から初めて授けられしカメラもオリンパスペンで1961年発売の最も売れたPen EEななり。日曜日に駅で列車の撮影してた当時の写真はどこに散逸かしら。1963年のPen Fの美しさ。日本カメラといへばチヨートク先生の連載「一眼レフの王国」に「プーチンさん(?)のゼニット」と題し先生へのアタシからのメールが発端となつた文章あり含羞しいかぎり。チヨートク先生凄きところはアタシとのメール往来がプラハ滞在中で、すぐにそのソ連製ゼニットをプラハのカメラ屋に買ひに往かれ撮影してしまふのところ。一旦帰宅して早晩に西湾河。いつものことで太安樓の基記水電工程に牛雑一串頬張り余裕で電影資料館に参れば「あれ、此処ぢやないよ」で鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」の上映は尖沙咀の太空館。でZ嬢と慌てゝタクシ自動車で中環。スターフェリーで尖沙咀に渡り20分遅れて「ツィゴイネルワイゼン」観る。この映画ももう30年近く前。1980年の初上映の頃に若いアタシは一度観て全くわからず二度目を観て更に意味がわからなくなり、その後も原作である百罒の『サラサーテの盤』も讀み、この映画も二度くらゐ観た。上映でこれほど何度の観た映画は珍しい。アタマ20分見逃してもまだ救はれる、が何度観ても面白い。これほど飲食の場面が多かつたか、とあらめて思ふ。すき焼の際にちぎり蒟蒻をいれたらどんな味か、と思つてはゐるが、たう/\試したことなし。青地教授演じる藤田敏八の背広と和服のセンスが理想的。映画の中であんまり美味さうに藤田敏八原田芳雄が飲み食ひするので尖東まで歩き五味鳥に焼き鳥頬張り熱燗。藤田敏八の日活映画「エロスは甘き香り」は桃井かをりの慥かデビュー作品だつたか、を堀切菖蒲園の三本立てで高校生の頃に観たことなど思ひ出す。観念的な作品として「ツィゴイネルワイゼン」を寺山修司の映画と比べた場合、後者の短篇ゆゑの完成度の高さ、をZ嬢が指摘。慥かに。
朝日新聞(今日の衛星版、亜細亜面)に「移ろいゆく香港」なる特集の第二回目で「美食の都、三つ星騒動」讀む。四川料理の詠藜園がミシュラン香港版に載らざりし事から話が始まり「香港の星の少なさ」。詠藜園といふ「揚子江下り」の四川料理ミシュランで紹介されるかどうか、アタシには興味もない、が羊肉のしやぶしやぶ(小肥羊)と重慶火鍋の香港での流行を「大陸から濃い味進出」として「中国返還から12年がたち、火鍋のやうに濃厚な味も好まれるやうになつた」と返還をキーワードに片づけるのは如何なものか。北方料理の「涮羊肉」は香港にも松竹樓などかつてあり昔から香港では好物の一つ。むしろ戦後、北京、上海料理は香港では今より隆盛誇つたもの。小肥羊チェーンが初、に非ず。また香港で「火鍋のやうに濃厚な味が好まれるやうになつた」のも中国返還から12年で香港人が中国大陸化?したからではない。重慶火鍋の流行はこの二十年ほどの大陸全域での現象。四川料理でも「揚子江を下つてしまつた」味に慣れてゐた香港人も本格的な麻辣の、とくに山椒の香ばしさ深圳などかなり火鍋屋が増え食べ慣れたゆゑ。日本でも若者の激辛嗜好あり、同じ。あへて「香港の中国返還」で語らう、と思へば本格的な重慶火鍋屋が内地から香港にも進出したこと、くらいだらう。火鍋など濃い味の流行で「移ろひゆく香港」と取り上げるのは鳥渡、無理があらう。
▼林行止氏が先週だつたか、氏の悪癖としてThe Economist誌届くと先づObituary欄開いて讀むこと、と信報で書いてゐたが新聞でも物故者欄から讀むのは一つの流儀だらう。アタシにその癖はないがさすがに今週末は届いたThe Economist誌をObituaryから讀んだのは、今週のこの頁が間違ひなくマイケル=ジャクソンであらうから。写真がMJの白銀の手袋だけ写し、記事もこの手袋やスリムなパンツ、靴下や鞜だけでMJと誰もが認めるが、他の芸人なら靴下を見ただけでブルース=スプリングスティーンと、誰もわからぬだらう、と。そのMJの象徴性を語る。

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