富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-06-13

六月十三日(土)朝から晴れたかと思へば通り雨で亦た晴れる。アタシが死んだ時に葬式は要らぬがバッハのゴルトベルグ変奏曲、それも絶対に高橋悠治さんの演奏のゴルトベルグだけは流してもらひたひ、と土曜の朝からその曲を聴いてさう思ふ。昼前にジムで筋力運動。昼に自宅で先週末に尖沙咀の印度商店で購つた印度製の日清カップヌードル食す。アルフォンゾマンゴーも、まう季節終ひ。夕方にAVOHK主催でBowen Rdにて2009 Malcolm Phillips 5km Memorial RunありAVOHKの催事いつも申込むばかりで出る機会逸し今日こそと勇み湾仔のKennedy RdよりWanchai Gapを思ひつきり登つたら電話で急な外来が入つたので「先生、すぐにお戻りください」と当直の看護婦。スタート手前300mのこゝまで来たのに、で無念ながらK氏ら知己の参加者の応援に残るZ嬢と別れWanchai Gapを下り日没までご執務。仕切り直しでZ嬢と西湾側のJなる横丁の食肆。Z嬢が聞きつけてきたもと/\は鍋屋だが鶏肉料理よくする由。慥かに鶏腸の炒め物も正肉と鶏レバの煲も上手い。とんでもなく小汚い肆だが上手ければ全然よい。かなり満足(で店の名は匿す)。食後に路道裡の猫と遊び明記糖水で芝麻糊+緑豆沙の汁粉を頬張る。
▼東都の好事家T君より一山一寧のと言はれる書。元の国使として来朝、北条貞時と後宇多院の帰依を受け日本に没せし高僧の話して直筆か、は置いてをゐて「啼鳥」の五言は判読し難きところあり、と扶け請はれアタシがわからう筈もなく香港大学博物館のY館長に託し専門家に読んでもらふと王維の「從岐王過楊氏別業應教」で
楊子談經所,淮王載酒過。興闌啼鳥換,坐久落花多。
徑轉回銀燭,林開散玉珂。嚴城時未啟,前路擁笙歌。
下世話に酒場で譬へれば「東都のジュク、といふよりか大阪のキタ」かしら。
▼今日の信報に劉達文といふ人の「我為劉千石辯護」なる投稿あり。先日、六四の廿周年にあたり香港で中国民主化に関はつてきた人で誰の話が聞きたいか、といふことを考へたとき、もと香港駐在の新聞特派員であつたM氏が挙げたのが劉千石で、なるほど、とアタシも納得したが如何せん知名度的には香港を除くと劉千石はあまり知られた名ではなし。ヴェテランの労働運動、民主化運動の活動家だが九七年以降、広州に住まふ病身の老母に一目会はうと民主派の中では中国入境証を珍しく得られ、また千石の政治的姿勢が中共寄りとその「変節」批難され最近は民主派の中でもかなり低調にこそ見える方。この投稿で言ふのは許家屯の回想録にもある通り、香港基本法の起草委の人選の中で民望高かつた劉千石の名もあがつたが「中共的には」民主化急進分子とされ、中道から左派で中共にも理解あつた李柱銘と司徒華が起草委に選ばれたが六四後の両者の動きはこゝで言を要すまひ。で九七以降は千石氏が中共の政策に理解示し香港の急進的な民主化要求などに次第に距離を置く姿勢が民主派からは叩かれたのだが方法論は穏便から急進まで幅があるわけで劉千石といふ人をたゞ批難して良いのか、この人の立場の評価を考へ直すべき、と。御意。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

バッハ:ゴルトベルク変奏曲

バッハ:ゴルトベルク変奏曲