富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-06-02

六月二日(火)暑き日。黄昏に帰宅して孟買サファイアでドライマティーニ二杯。アルゲリッチアバドと伯林フィルでラヴェルのピアノ協奏曲ト長調を聴く。Z嬢に一度この曲の第3楽章を「ゴジラゴジラゴジラメカゴジラ」と歌はれてしまつてから、何度聴ひても「「ゴジラゴジラゴジラメカゴジラ」に聞こへてしまひどうしやうもない。夕食後にキーシンプロコフィエフのピアノ協奏曲の2&3番を聴く。ハクスリーの『すばらしい新世界』を少し再読。国家のあり方としてのシンガポール=モデルにつき先日、築地のH君と話てゐてハクスリーのこの小説を思ひ出したから。物語で倫敦の中央人工孵化・条件反射育成所の支所がアジアはシンガポールにあつたとは……(今ごろ再読或は再々読で気づいたが)ハクスリーの卓見としか言ひやうなし。1932年の『すばらしい』の執筆当時のシンガポールはまだマレー半島の英領の港町。戦後20年も経ち独立し今日までまさに『すばらしき』に描かれるような「共有・同一・安定」の李朝全体主義国家にならうとは。
蘋果日報が英国の衛紙つまりThe Guardianから転載のこの記事“Boy chosen by Dalai Lama turns back on Buddhist order”は西班牙で大乗仏教徒の家庭に生まれ14ヶ月の時にダライラマ14世に謁見の機会あり「霊童」と見染められ印度にて御佛に仕へ修業に精進したものゝ世俗して今はマドリッドに戻り映画制作を学ぶOsel Hita Torres君(24歳、写真)について。西班牙ゆゑダライラマの眼に適つても政府に軟禁拘束もされず幸ひ、か。
朝鮮民主主義人民共和国にて領袖様が三男坊様を後継にご指名の由。瑞西の寄宿学校に学び英法獨の三語に堪能の由。瑞西永世中立の国是が為に栄光なる自立、充分な軍備誇ると思へば孤立と核武装北朝鮮はアジアのスイスかしら。で平壌アジア開発銀行とかWTOやWHOのアジア総部を無理矢理置いてしまふ、といふのも一考かも。
▼香港のいろ/\な意味で、って皮肉でだが「真の」政治家(かつて「変色蛙」と譬へられたが……笑)李鵬飛君が蘋果日報で「爆六四後港英内幕」と物語るは1989年6月4日の早朝六時半、電話のベルに起され相手は当時の香港総督Wilson卿。天安門での解放軍による人民虐殺に香港市民の動揺どう抑えるか、と。香港政府はその後、矢継ぎ早に懸案の新空港建設の実現や科学技術大学創立など民心安定策を提案。HK$1,250億投資の空港建設は中国政府は英国が香港の潤澤なる現金をば97年に中国に渡さぬための方策と決めつけ不快感表明。英国首相メイジャー君が訪中し当時「世界の敵」の如き李鵬首相と握手することで中国政府の合意をば取り付けたが1992年のヰルソン卿退任はメイジャー首相による実質的更迭処分、と回顧。李鵬飛君の滑舌は止まるところ知らず、彼は総督直属の行政局(現・行政院)首席議員の鄧蓮如・女男爵(女性でも男爵とはこれ如何に)と倫敦に飛び英国政府に嘆願し香港市民5万人の英国永住権奪取、で当時、香港駐倫敦辧事処にて英国政府とこの協議に当つた若き政務官が今ではTVB(香港の民放テレビ局)総経理としてすつかりカミングアウトしてオネエキャラで振るまふ陳志雲、香港側でこの永住権業務担当が当時の行政署署長のドナルド卿(現行政長官・文革曽)の由。李鵬飛君、饒舌は止まらず六四の一年後にヰルソン卿より与へられし「不可能的任務」は女男爵襲ひ首席行政局議員の立場にて対中関係緩和政策として当時立法院議員であつた支聯會主席の司徒華氏に「支聯會解散」求めるもの。司徒先生はこれを断つたのは当然、でこれがホントのミッション=インポッシブル(嗤)。
▼その司徒華先生、二十年前回顧(蘋果日報)。六月四日から香港の動揺不安広まり六日晩には旺角や油麻地で投石や放火あり七日は治安不穏にて香港の全学校が休校措置。ストライキ。臨時休業の店舗は七割。司徒華先生は皇后大道中の商務印書館に中共系でありながら「南京大虐殺日本人殺中國人、天安門廣場中國人殺中國人」と対聯掛けられたこと。その司徒華先生、アタシが先生にぶつかつた昨日の外国人記者倶楽部での講演で語るは「中国通」の総督ヰルソン卿の当時の最大の関心は「中国共産党は倒れるや否や」。六四から一週間後、支聯會主席の司徒華先生招き側近や通譯も交へずサシで北京官語にて談義。うーん、『悪い奴ほどよく眠る』から『天国と地獄』の頃に黒澤明に撮らせたき大人の世界。そのヰルソン卿の質疑に先生は「直到我死了,你也死了,共產黨仍不會垮台。」(ワシが死んでアンタが死んでも共産党はまだ倒れぬ)と答へた、と。白眉。また91年の立法局占拠での直接選挙枠の議員増案につき先生は「すでに基本法草案で直選は18議席と規定あり。これを増やせば中国が反発するばかりでメリットもない」と答へたのはやはり確かであつただらう、と。司徒華先生は今や世界に残存する共産主義政権で中共は最大、最狼、最も暴力的なわけで「中国は世界で一番最後に民主化される国家になるであらう」と断言。先生の雄弁に老ひは見られず。
朝日新聞の文化面に佐藤卓己氏(メディア史)がインフルエンザについて「熟慮要する危機報道」と題し、今回の新型インフルエンザを危機報道の視点から考えると熟慮に欠ける点は感染者数に関して新たな感染例を報道する意味はあつても隔離中の患者数なら兎も角すでに完治の者も含め累計数を見出しに上げる必要があるのか、感染者が右肩上がりで増え続けてゐるやうな印象を与へ風評撒き散らす原因になりかねない、と指摘。清水幾太郎の『流言蜚語』の「流言蜚語は国家を試すものではないであらうか。(略)民衆から信頼されてゐる国家のみが動揺を免れることが出来る」を引用し「マスクを買い占めに走った人々がみな、風評に惑わされたとはいわない。ただ、この国の政治に対する信頼とメディアの影響力のバロメーターになったといえるだろう」と指摘されてゐる。
そもそも、危機報道は惰性に流されやすい。なぜなら、事態が悪化する危険性を指摘する姿勢は、楽観敵に分析するよりも「良心的」に見える。また悪化しなかった場合でも、自分たちの警告が流れを変えたのだと強弁できる。つまり、危機報道は外れても歓迎されこそすれ責任を問われない絶対安全な報道である。
との指摘、NHKのNW9の制作組はこれが理解できるか。
東京新聞の平岩勇司記者の「六四」の一連の報道。「天安門事件 20年 今も国から迫害」や、当時の学生リーダーよりも「軍の鎮圧に抵抗した市民は「暴徒」として逮捕され、当時の学生リーダーより過酷な扱いを受けた。無期懲役、猶予付き死刑判決を受け、長い刑期を終えて出所した二人の人生を追った」と渾身のレポートの「天安門事件20年 市民の闘い 学生守り『暴徒』レッテル」など格別。天安門広場で、今になつて思へばウアルカイシ学生運動の領袖よか「戦車を止めた」青年・王維林こそ彼のインパクトは中国政府にとつては国家的屈辱そのもの。この青年がその後、台北故宮博物館の陶瓷骨董の顧問として文物鑑定に従事、と法輪功の新聞『大紀元時報』に記事あり、と富柏村日剰〇六年六月二日に記述あり、と築地のH君に教へられる。で、ふと気になりかなり久々に大紀元時報眺めるが今年の「六四」廿周年にしては六四関連の暴露記事見当たらず。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

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