富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-06-01

六月朔日(月)ふだんならこの時期、暑さで寝苦しく目覚めやうところ早朝にうすら寒く目醒む。閉窗のうへ冷房もつけず毛布まで掛けてのこと。本日の朝日新聞(文化面)にアタシの拙譯で「六四」天安門から廿周年で香港のヴェテランジャーナリスト李怡氏の寄稿「記憶在反抗遺志」掲載あり(朝日は蘋果日報と違ひ無断転載禁止、本紙をご高覧請ふ)。さすが李怡氏、たんなる「六四平反」の主張とならず歴史と対峙する姿勢が見事。その高尚なる氏の矜恃が拙譯にて幾久ばかりか日本語で伝はれば何より。晩に外国人記者倶楽部の小部屋借りて会合あり末席を汚す。同所では夕方「六四平反」について何か会合あつたやうで人出多し。階段でアタシも余所見して登つてゐたが上から下りて来た方とぶつかり相手もアタシがよく見えてをらぬ様子、は目を患はれる司徒華先生。先生の他に六四当時に中国で北京工人自治聯合會組織し現在は香港で中国労働運動に関はる韓東方氏、民主党代表らが記者相手に会合開催の由。李怡氏お見かけするがアタシも慌たゞしくご挨拶も出来ず。
▼昨日の「六四平反」の香港でのデモ行進。主催者側発表で8千人参加(警察発表4.7千人)。1990年の1万人参加からジリ貧傾向が前行政長官・董建華の貧政で04年に5.6千人(同3千人)に回復?し08年には990人(同600人)にまで落ち込んだが今年は行政長官・文革曽の舌禍で回復。「六四」の平反も然ること乍ら常に香港の行政長官の行政官としての能力の無さが六四デモに与へるインパクトの大きさ。北京政府も頭が痛いところ。出来レースで子飼ひを首長にするからかうなる。ところで一昨日、紅磡から香港島に潜る海底隧道の入り口に「明日は交通渋滞」と予告あり六四か、と思へば基督教のPentecost Sunday(五旬節)ださうで香港スタヂアムにてGlobal Day of Preyerなる祈祷会あり2万人参加の由。
▼その文化面にはこの李怡氏の文章のほかに新井素子による栗本薫中島梓)追悼の文、「惜別」には舞踊家としてより澤瀉屋夫人としての藤間紫、写真評論家・平木収あり。読んだり舞台を観たり。澤瀉屋夫人は三月末の逝去。平井氏は二月のことで三月初旬の長徳先生の日記にて1978年頃のプラハでの長徳先生と平井氏の思い出など読んではいたが、同じ紙面にこれだけ並ぶと……何とも。

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