富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月廿七日(水)ようやく雨が歇む。睡眠薬で熟睡できたか目覚め爽快。依存症にならないやうに。諸事忙殺され晩に旧知S氏よりの招飲受けHappy Valleyの寿司澄。いろ/\美味いが平目の縁がわを海苔で巻く、なんて昔はなかつたが最近の好物。再びの甚雨。S氏と款語尽きず銅鑼湾に往きバーBに飲み深更に至る。
讀賣新聞に「天安門事件20年の中国」として現代中国研究の楊中美氏(法政大学)と矢吹晋先生がそれぞれ語る。後者は読み方によつては「当局が強硬策に出たのは仕方なかった」と事件そのものを擁護する発言と解す向きもあらう、がアタシは矢吹先生がそこまで、とは読めず、それでも先生の発言に釈然とせぬものがあつたが、よく/\読んでみると讀賣の紙面では発言が
1 当局が強硬策に出たのは仕方なかった。
2 党内が改革派と保守派にわかれており民主化運動を収拾できずにいた。
3 無政府状態となっていた。
4 最終的にあのような惨事に立ち至った。
5 しかし解放軍動員は間違い。警察でじゅうぶん対処できた。
となる。これがもし
2 党内が改革派と保守派にわかれており民主化運動を収拾できずにいた。
3 無政府状態となっていた。
1' 保守派を抑える意味でも何らかの強硬的な沈静化策は必要だった。  
5 しかし解放軍動員は間違い。警察でじゅうぶん対処できた。
4 最終的にあのような惨事に立ち至った。
なら、すんなり理解できるところ。聞き書きであらうし。大切なのは矢吹先生の言はれる「一つでも既定の見解を覆せば、見直しの動きがドミノ式に広がるとの懸念」。胡耀邦趙紫陽の名誉回復が「二〇年を経ても」さう易々と出来ぬ現実の問題の大きさ。築地のH君曰く、歳の順に鄧小平が胡耀邦より先に死んでいたらだうだつたか、趙紫陽も生きてゐれば「チェコの山奥で森番をしていたドプチェクがヴァーツラフ広場の大群衆に歓呼で迎へられたやうな」劇的な場面を空想、と。中国は国家の規模が大き過ぎ「改革派」も乾坤一擲の大勝負に出られず、孫文でさへ、結局、現実的に治国は袁世凱に譲つたのも「現実感覚」がありすぎて自縄自縛。毛澤東が中国史上真に偉大なのは、その種の現実感覚がなかつたからでは?とH君。御意。毛澤東に凡人的な冷静さなどあらば長征も大躍進も文革も出来るはずもなし。

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