富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-03-19

三月十九日(木)昨日の好天とはうつて変はつて春雨空濛。部屋で昨日タイパの葡萄牙ベーカリーで購つたパンケーキと珈琲で朝食。小雨歇む。ホテルからマカオカントリー倶楽部のゴルフ場抜けコロアネの島を九澳村まで歩く。島の東南端の集落は路線バスが朝から夕方まで70分毎に一本といふ僻地。ウェスティンからは散歩にちやうど良い距離。集落は小さいが中上健次的に殺伐と工事資材置き場などあり。他所からみんな通ふのかしら、かなり規模の大きな男子校の中学あり。この村からさらに歩き島の最東端の七苦聖母小堂なる教会を訪れる。敷地内に老人院と精神薄弱の若い子らを預かる施設あり。此処はもと/\人里離れた閑静な地だつただらう、が近くに巨大なセメント工場がありマカオ空港の滑走路が海に延び飛行機の離着陸の轟音が聞こえ、教会の崖下も石油精製工場のコンビナートが出来て、どうにも……。九澳村まで急ぎ足で戻り午前09:15に出る70分に一本のバス(15系統)でウェスティンに戻る。部屋で読書。薄日がさす。退宿。黒砂海岸まで散歩。路線バスで竹湾海岸。 Pousada de Coloaneホテルの客室見学。慥かに風呂場など改善されては、ゐる。歩いて路環の集落へRetaurante Espaço Lisboaに食さうと歩いてゐるとロータリーでかつてこのEspaço Lisboaに長かつたアントニオ料理長に遭遇。自家用車に乗り込むところ。今はタイパの食肆にゐると聞いてゐたが。奴さんもアタシらが Espaço Lisboaに行くのは承知だらう。Espaço Lisboaは狭い肆で予約しといて二階に通されたが十八人様だかの団体に対峙するアタシら二人用の卓。前回は韓国からのグルメ=料理撮影ツアー御一行に閉口したが今回も誰かしら「たまつたものぢやない」と楼下の卓にしてもらふ。本日の御一行はマカオ在住の米国人婦人会。洗面所に行かうと楼上に行けば各人の香水の臭ひが強烈であれぢや食事も不味くなる。Planaltoの07年。浅蜊、蛸サラダ、焼きゴーダチーズの蜂蜜添へ、と海鮮御飯ならぬ海鮮パン。Z嬢が15系統のバス時刻しつかり把握してをり九澳村から路環に買ひ出しの婆さんたちと15番バスを待ちウェスティンに戻る。修理中で閉ぢた屋外プール傍らの廻廊の風通しの良いソファで午睡。「工事中ですからお入りにならないで」なんて誰も言はぬ。満腹感と白葡萄酒の酔ひで一時間ほど熟睡。三時半のシャトルバスでフェリー波止場。午後四時のフェリーで香港に戻る。
樋口陽一先生の『ふらんす「知」の日常を歩く』(平凡社)読了。戦後初めて見た外国映画がコクトオの「美女と野獣」だつたといふ樋口先生は十代の多感な時に加藤周一氏の『抵抗の文学』を読み仏蘭西レジスタンスといふ面を知つたといふ。だが樋口先生も指摘してゐることだが「神話には必ず影の部分がある」わけで近年になつてあの「輝かしい」レジスタンスの影の部分も取り上げられるやうになつたこと。レジスタンスといへば日本では「ぱつとしなかつた」わけで加藤周一の立場もアタシは執拗に指摘したくなるが、そんな日本で獄中でも非転向を貫いた数少ない思想家として三木清が脚光を浴びるが(それは戦後の羽仁五郎などの説教にかなり影響を受けてゐるが)三木清の立場とかも最近の研究では、たんに非転向のレジスタンスとは言ひ切れないところもあるらしい。で本書に戻るが、そんな書き出しで樋口先生は、たゞ外国への関心も下手をすると、すぐ「亜米利加では」「仏蘭西では」と「出羽守」や「それに比べて日本は……」と「豊前守」になりやすい、と自戒を込めおつしやるが、でもどうして、やはり本書も「仏蘭西では」の出羽守かしら。樋口先生の書物は、それが憲法論は理路騒然としかも易しい言葉遣ひで読みやすいが、樋口先生はそれが岩波新書だとか、一般の非専門の読者、といふ對手を想定してしまふと、どうもわかりやすく書かうとしたことが裏面に出て失礼ながらわかりづらくなることが屡々。この本では、とくにそれが感じられる。例へば瑣細なことだが先生が留学した時に偶然泊まつたのがきつかけで巴里での常宿となるDelavigneなるホテルの話。そこに鈴木謙一(『仏蘭西美食の世界』の著者)が当時の戦後の巴里のことを書いた随筆に「にんじんホテルのこと」といふ話がある……と話が変り、よく読み返すとどうもこの Delavigneなるホテルに、この鈴木謙一も宿してをり、このDelavigneなるホテルを「にんじんホテル」と呼んだらしい。「その Delavigneなるホテルに鈴木謙一さんも泊まつてゐて」といふ一言がないから、一瞬、話の脈絡が途切れる。で鈴木氏の書いたエピソードも「あるとき、顔を洗はうと思つて水道の栓をひねつたら、そこから人参の切れつ端がたくさん出てきた」といふことから、このホテルを「にんじんホテル」と呼んでゐるのだが、ではなぜ「禁じられてゐた自炊を上の部屋でした客がゐて、その自炊の副産物」の人参が上水道(だらう)から流れ出てきたのか、ちよつとしたことだが記述がどこか足りない。ご本人は合点してゐるからわかるが第三者の読者にはわからないことが時々出てくる。例へば、こんな記述。
ナポレオン三世第二帝政が倒れて、第三共和制が一八七五年に出発します。それで、いろいろな自由を保障する法律が制定されます。この時期、憲法には基本権を書かないのです。憲法に人権、基本権を書くということは、議会もそれにさわってはいけない、ということでしょう。そのような前提をつくった上で、裁判官にそのお目付け役をさせるというのが、いまフランスを含めて多くの国で採用されている違憲審査制です。
と、読んでゐて、一瞬、戸惑ふ。アタシの思考回路に問題があるのかもしれないが、当時の憲法には基本権は書かれてゐない、それが事実ならそれで良いが、で、その「書かれてゐない理由」になれば論の展開として自然だが、こゝでは基本権が憲法に謳はれることの今日的な意義に話が展開してしまふ。これは、
この時期、憲法には基本権を書かないのです。それに対して、その後、憲法には人権、基本権を書かれるようになりました。これは、議会もそれにさわってはいけない、ということでしょう。
……と普遍法としての憲法について説かれれば、わかりやすいはず。著者のあとがきによれば「ひとり語りしたものが本になつた」とあるので、さもありなむ、で口述筆記ならなほさら編輯者はとくに慎重になるべき、で、もつと「わかりやすさ」への配慮が必要だつただらう。でも、だうであれ、
実際のところ、三人以上の子供がゐる家庭というのは、しばしば、豊かな家庭です。「貧乏人の子だくさん」という言葉が日本ではありますけれども、そういう要素が仏蘭西でも特に移民系の人たちにありますが、比較的富裕層に子供が多いということも、我々の友人たちを見ていますと分かります。
なんて記述を読むと、べつに羨む、僻むわけではないが、先生の友人には富裕層が多い、といふことを粛々と事実として釈すべきだけのことなのだらう、か。ところで巴里のサン=ルイ島の某寿司屋が美味い、という樋口先生の判断はアタシは大いに疑問(笑)。

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