富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-03-18

三月十八日(水)Z嬢と西環街市傍の海安珈琲で朝食。客を叱るやうに註文とる女将、客は常連ばかりで入つてくるなり女将は客毎に註文もとりもせず「熱奶琲」「熱檸茶」と厨房に怒鳴る。鳥渡手が空いた、と思つたら「台湾?」と聞くから、黙つて首肯けば良いものをアタシもつい「日本」と言つてしまつたら「へぇ、日本人が中文紙読んでるよ」とまた感心してみせる。フェリーターミナルは大陸の田舎漢の観光客芋を洗ふが如し。出境の長蛇の列に団体客はどうも珠海に向ふフェリーは同じ便に間に合はむ客がゐるらしく、閉まつてゐるカウンターを開けろ、と無理強ひしたと思へば、すでに出境済ませた同行の者に「この荷物だけ先に持つていつてくれつけぇ?」と關越しに荷物渡さうなんてするからイミグレの職員と一悶着で騒ぎとなる。それを横目に八時半のマカオ行きフェリーに乗船。何処の田舎者のツアーか、と思へば貴州からの数十名がフェリーに乗るだけで楽しさうに大騒ぎ。貴州といへば中国で地名とは別に所得低い印象あるが香港旅行で珠海に向はずマカオ観光なのだから贅沢。一時間のフェリーはかなり五月蝿いだらうと耳栓して噪音対策、が貴州からの団体はフェリーが波止場出るなりみんな寝入つてしまつたのは旅の疲れかしら。今朝の朝刊数紙読んでゐればマカオ着。路線バスでタイパに渡る。六ツ星らしいCrown Hotelに荷物預け昼まで漫ろ歩き。快晴。気温は摂氏28度くらゐ。タイパ住宅博物館で地場の風景画の絵描きの作品展。沼地の向かうにThe VenetianやFour Seasonsのカジノホテルが要塞のやうに見える。Wynnやハイアットだの建築途中、建築中断の建物の数々。またタイパ市街を散歩してCrown Hotelの方に戻る途中、Z嬢の発案で旧Hyatt Regency=現Regency Hotel Macau見学。このホテルのプールサイドやスパがとても快適で、フラミンゴといふプールサイドのレストランもなか/\、でかつてかなり利用したが施設老朽化でハイアットはコタイに大型カジノホテル開業に向け(あれは本当に開業するのかしら?)このHyatt Regencyを閉鎖。居抜きで現在のRegency Hotel Macauが開業したがかつての賑はひもなし。地階のカジノ(これはもと/\あまり流行つてなかつたが)もフラミンゴも閉められプールは工事中でスパもあるやうだが、どれだけ利用者ゐるかしら。Crown Hotelに戻り「天政」に昼を食す。天麩羅。一の蔵を冷酒で三合半ほど。タクシーでコロアネのウェスティンリゾートマカオ。投宿。中途半端なシーズンの平日で、しかもこの不況とあつては閑散は当然。客室のバルコニーは四ツ星ホテルのツインの客室くらゐの広さあり。途中で買ひ求めたヴィーノヴェルデのワインをアイスクーラーに冷やしバルコニーの日蔭にマット敷いて読書。近藤紘一『サイゴンから来た妻と娘』読む。昼の酒も醒めぬうちに飲み始めた葡萄酒でも、この近藤紘一の筆致はアタシを寝させない。サイゴン陥落の頃に日本に来た妻が東京で何が辛いか、といへば先祖祀りの出来ぬこと。で彼女は浅草の浅草寺を「私のお寺」として参拝する。浅草の仲見世アメ横の賑やかさにどこかサイゴンの雑駁さを見るベトナムから来た妻。雷魚を買ひ求め食べ時まで風呂の浴槽に飼ひ、動物好きの彼女は銀座のデパートの屋上のペットコーナーで兎を買ひ求め大切に育て休みの日には夫婦で兎が好物のアザミ獲りに精を出す。だが兎がテレビのアンテナコードを齧つたせゐで妻は大好きな美空ひばりショーが見られなかつた日の翌日、著者が帰宅するとアパートのバルコニーはすでに頭が割かれ毛皮が剥かれたあと、で美味い兎のグリルが夕餉の食卓に供される。可哀相、といふ娘に彼女はこれも兎の運命、人間に食べられるのは輪廻、と諭す。……こんなエピソードが続くのだから読んで飽きない。夕方遅くホテルを出て黒砂海岸を歩きバスでマカオ市街へと出る。途中、コタイのThe Venetianのあたりを通り抜ける。建設中、事実上の建設中断のカジノホテルの他、Byan Treeとホテルオークラ等の名が標された牆に囲まれた敷地が続く。この「開発」をどうするのかしら。全部取り壊して昔の沼地に戻すべき、とZ嬢。旧市街のセナド広場で星巴の隣、と劉健威氏の紹介してゐた辺度有書(Pinto Livros書店)訪れる。梁文道著『常識』購ふ。それとマカオ観光名所の写真スライド一箱。かなり久々にAfonso IIIに夕餉を食す。食肆は不景気もなんのその、寧ろ十数年前に比べればかなりの繁盛。葡人のオーナーかつては客がいる営業時間に呑気に息子と夕食とつていたのが皿を下げたり働く姿初めて見る。Anta da Serraといふ葡萄酒、5dlはちやうど良い。浅蜊のバター炒めとスープ、それに羊肉煮。セナド広場を抜け道ばたでジェラート食す。新馬路の老舗の煙草店・福和の廃業を見る。路線バスを待つが黒砂行きは来てもコロアネ島の路環か黒砂海岸からホテルまでの足は難儀ね、とタクシ自動車雇ひホテルに戻る。
▼私には難民問題をダシに他人の国の政治を語る気はないし、さらにいえば、たとえこれらの話(革命での資本主義者の再教育など)が事実であったにしても、それは当然予測された事実であり、また、ある意味では然るべき事実であるように思えるからだ。予測できなかったのは、「歴史」「民族」「独立」などという美しい言葉の言霊に酔い、他国の「解放」を熱心に支援し、祝賀した気楽な外部の世論だけではなかったのか。
……と近藤紘一は指摘する。でベトナムから難民があふれるとその受入れすら出来ない日本。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)