富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-03-14

三月十四日(土)久々に晴れる。昨日の気温摂氏廿五度が本日朝は摂氏十三度まで下がる。ほんとなら裏山でも海まで走りたいところだがさうもいかず。朝イチで近隣のC医師の診療所訪れ今朝はそれでもだいぶ治まつた蕁麻疹見せる。過労だとかストレスもあるのですよ、休養が一番、と土日も診療で休診は旧正月二日だけのC医師に言はれ飲み薬処方される。中央図書館。九時半くらゐに着いたら開館は十時。晩九時までの開館時間はそりや晩の利用者には良いが朝だつて図書館でとくに週末の十時は遅くないかしら、と思つて東京の都立中央図書館を見たら同じく10〜21時でアタシの好きなマカオの図書館も総て十時で、そんなものなのか。図書館のカフェは幸ひ朝九時から開いてゝたすかつたが。で十時の開館すぎに入場してG階で開催中の「香港印象 」なる黄貴權医師と俳優周潤發の写真展見る。写真撮影といへば引退した医者の道楽で、俳優も名が馳せるだけに絵描きや写真など「たゞの芸人ぢやないの」でチヤホヤされるが、この老医師と俳優の写真は慥かに素晴らしい。実はハツセルくらゐのカメラと悠長な時間と何より趣味があれば良い写真は撮れるのだらう、が根気がない。夜明けにカメラ抱へて中環を徘徊する、また大埔の夜明けを撮りに何度も通ふ、まさに余暇。周潤發はそりや寡作で何年に一本の映画出演のギャラでさうしてゐられるのが羨ましいが、この写真を残すだけ立派。街市の八百物売るオバチャンも路上の新聞売りも、周潤發がふらりと現れ「写真、撮らしてもらつても良い?」と聞かれゝば、そりや表情も安らぐだらう。さつと見て去る積もりが暫し写真を見入る。午後まで官邸でご執務。午後、外で二つ仕事済ませ夕方に散髪。今月いくつか送別会続いたが去る人あれば来る人あり、で晩に或る歓迎会あり灣仔の杭州酒家に宴を催す。やはり美味、で肆は盛況なり。蕁麻疹の薬物投与中につき酒を飲まず。酒を飲まずに宴会にゐるのも何だか筑波の蝦蟇になつた気分。C医師に「睡気に誘はれるから」と睡眠前に、と言はれた薬飲んだら忽ち睡魔に襲はれ十時すぎに就寝。
五野井郁夫なる政治学者(日本学術振興会特別研究員)が路上生活者問題について自治体による公園からのホームレス排除に抗する芸術活動を取り上げ、かう語る。
はっきり言おう。路上や公園をめぐる排除の動きは、可能性としてわたしたちの生存がかかわっているという点で、わたしたち自身の問題なのだ。ひとごとではないと立ち向かう路上の芸術は「公共空間=みんなの広場」を閉じさせまいとする政治の表現である。
で、いま路上で起きてゐることに、少しばかりの勇気を出して巻き込まれてほしい。「たまには再び書を捨て、街に出よう。なぜって、開かれた希望はいつも路上にあるのだから」と声だかに呼びかける。
気持ちはわかなくもない。がヒトの心にはやはりどこかに、でも路上生活者やホームレスには出来るかぎり関はりたくない、といふ気持ちはあらうし、それを自らの問題と考へることは大切だらうけど、少なくてもこの学者が「書を捨て、街に出よう」と寺山修司の言葉を何十年ぶりに興さうとも、何より捨てようにも捨てる書物を読んでないだらう。公園が公共空間でみんなの広場だから路上生活者やホームレスも排除されてはならない、は理窟ではその通りだが「あのヒトたちさへゐなければ安心して子どもを遊ばせられるのに」と不安がるヒトたちに、或いはホームレス狩りに挑む少年たちに,
どう理解してもらはう、と言ふのかしら。