富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-03-06

三月六日(金)気温摂氏十五度に下がり寒空に時折甚雨。やうやく今日になり今月下旬からの香港映画祭の切符ネットにて購入済ます。今年は昨年より更に少なく十七本のみ。かつて通し券購ひ四、五十本見た数年前迄が懐かしいかぎり。時間も惜しいが何せ「見たい」といふ作品並んで掛からぬのが事実。薄暮雨霰。早晩FCCに参りラウンジでジンジャエール飲みつゝ二つ折で15cm程溜つた新聞読み、といふより熟読したき記事ある頁破るに過ぎず。カエザルサラダ食す。珈琲飲みアルコールなし、で尖沙咀に渡る、は香港文化中心で独り、香港芸術節のもう最後は伯林独逸交響楽団(Symphonie-Orchester Berlin)の演奏会、指揮はIngo Metzmacher(インゴ・メッツマッハー)聴くため。ケント=ナガノが最近まで首席指揮者で日本でも名が知れた、がそれまで。市俄古交響楽団来たりし今年の芸術節でこれが香港芸術節の(明日は千秋楽でバレエあるが音楽では)最後のトリ、と思ふと正直いつて香港での知名度低く演目がワーグナーローエングリンから「第1幕への前奏曲」とマーラーの「亡き子をしのぶ歌」、中入後がブルックナーの7番、ぢやアタシは寝てしまひさうだし、だいゝち客が入るかしら?と思ふののは入場料は上等だからで、案の上、客席は6、7割の入り。ことにバルコニー中央の十列ほどがら/\は其処が強気のS席ゆゑ。クラシックの演奏会でよく遭遇のA君と「あきらかに主催者側の判断ミス」と話す。ワーグナーのこのプレリュードはチャップリンの「独裁者」で聴いたのがアタシの初聴かしら、で続いてマーラーの「亡き子を」ぢや最後の「こんな嵐のときに」が静かに終わるを聴きつゝこの経済恐慌に哭くしかなし。なんだか時節柄、か不景気な選曲。メッツマッハーの指揮するこの伯林の楽団は独逸らしく地味ながら着実に奏で、この2曲なら派手さも要るまいし「亡き子を」のMatthias Goerneさんによるバリトン独唱は予想以上の収穫。中入後のブルックナーの7番。(以下、秀和さん風に綴れば)
ぼくはブルックナーほど聴く機会も少なければレコオドもCDも一切持つてゐないのだから、これほど僕が聞かない、勉強不足の作曲家は稀だ。ブルックナーと言ふと聴いたこともないのに吉田秀和さんの音楽評でばかり目にして、僕は、ブルックナーといふと、あの白髪の年老いた音楽評論家の顔がすぐに浮かぶ。今晩もわざ/\演奏会の前にアルコールなしの白面で!この演奏会に臨んだのも、ブルックナー好きの人には叱られさうだけど、僕はお酒なんて飲んでゐたらあのブルックナーの7番の主題が何度も繰り返される大1楽章で、きつと寝てしまふ、それも熟睡しちまひさうだから、なのだ。ぼくはやつぱり、口遊めるやうなフレーズの曲が好きだ。歩いてゐて自然と歌つてゐるやうな。それがブルックナーときたら、主題や展開のそれぞれのフレーズは面白いのだけど、はたして、それが口遊めるかしら。聴いたら、すぐに忘れてしまひさうな、技巧的には面白いけれど作られた、それも楽器の音色を楽しむために偉大なる職人!作曲家によつて作られたフレーズ。それが手を替へ品を替へ楽器を替へ、これでもか、これでもか、と繰り返されるブルックナーの7番の第1楽章アレグロモデラート。
……かしら。この曲を聴いてゐると、楽団にとつて指揮者の大切さが解ること一入。かういふ曲は指揮者なしに楽団の奏者だけぢや演奏できない。がこの楽団、独逸らいしゐといへばそれ迄だがもう少し感情はないのかしら、と思へるほど仏頂面。でも勿論、音色はぎりぎり抑制のきいたところで感情を見せるのが面白い。ちなみにこのSymphonie-Orchester Berlinは先の大戦後の1946年に西伯林の米軍占領地区放送局の楽団が母体で初代首席指揮者はフェレンツ=フリッチャイ。演奏会跳ねてペニンスラホテルのバーにHendrick'sのジンで胡瓜沿へたマティーニ二杯。東京の芸術の粋に昇華してしまつたバーから比べると此処のバーすら子供騙しに見えるから。帰宅して吉田秀和全集第2巻で「ブルックナーのシンフォニー」読む。アサヒカメラと日本カメラの三月号に目を通す。春になると「桜をどう撮るか」の特集はうんざり。グラビアの写真をふだんあまり見ないのだが日本カメラに掲載の、高木松壽といふ写真家の自作4x5カメラの写真には思はず目を奪はれる。
▼米国政治に興味あらばThe Economist(2月末日号)のLexingtonの語る“Caliornication”は面白い。小浜政権引導する有力者の多くが加州から、で加州の民主党がブッシュ時代の南部の共和党と勝るとも劣らず、どう凄いか。市俄古出でイリノイ州選出を礎とした小浜氏が民主党の支持基盤でジョージアまで勢力拡大したことが総統選勝利に有効であつたが民主党でも理屈なく左の加州勢力をどうコントロールできるか、と。日本の民主党右派の如し。