富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月十一日(水)
▼北京で北京五輪に合はせ鳴り物入りで建造、落成の中国中央電視台総局ビル。隣接の付属高層ビルが元宵の晩に打ち上げ花火の引火で全焼。マンダリンオリエンタルが入居で落成間際の惨事。しかも中国中央電視台による違法な花火打ち上げ。ニュースは流れたが一味違ふ報道が紐育時報IHT紙)。さすがに中央電視台も記者会見で謝罪し新華社もニュースこそ流したが中国国内各地の新聞は一面トップに写真入りでデカ/\といふ報道「自粛」。北京日報は代りに?韓国で建物崩壊で4人が下敷きになり死亡の記事が写真入り。“CCTV apologies for blaze, but coverage was often hard to find”と。さもありなむ、の中国の報道事情。
朝日新聞(衛星版)に故・加藤周一氏の追想連載始まる。第一回は当然のやうに樋口陽一先生。
夕陽妄語』の筆者が「日本国憲法」が「『伝統』になるかどうか」を「今後の問題」と書いたのは、二〇年前だった(一九九八・一二)。その間、“戦後レジームからの脱却”を掲げる政治の流れが加速するのに抗って、「日本でも(政治の)伝統的原則の普遍性について語ることができる」ための人びとの営みに積極的にかかわることをやめなかったのは、「加藤周一」の「文学」にとって、必然のことだったのである。
と樋口先生。加藤周一は、アタシはこの人の戦前から戦中のレジスタンスの弱さがどうしても解せないが、戦後にとつて積極的に戦後日本にこの「伝統的原則の普遍性」を据ゑようとしたことで樋口先生が加藤周一の名を「」にしたもの。その普遍性が未だにConstitutionとして形成されてをらぬことが戦後の日本の不幸。この記事の下に島田雅彦氏の今週末で連載終了ださうな「徒然王子」の連載小説あり。物語佳境に入り霊となりし王子が老いた父母君の住まはれし皇居に現れる。唯一のお世継ぎたる王子の失踪(死亡扱ひ)にて皇譜も絶えようかといふところ王子は自らの落胤あることを父君に継げ「王制を廃止し、この国を外国に売り払はうとしてる者たち」に一矢を報はうと。戦後の美しきレジームの「伝統的原則の普遍性」を今や畏れ多くも今上天皇陛下にこそ頼らうとする、我々の時代そのもの。
▼読売新聞に中谷巌氏が「構造改革路線の罪」と題し昨年末上梓の『懺悔の書』に続き小渕内閣での経済戦略会議への加担に始まり「私は、間接的な形であるものの、小泉改革の片棒を担いだことになる」と自己批判は小泉三世や竹中平蔵君らに比べればフランシス=フクヤマ氏同様にご立派。だが一橋の経済学教授、現職で三菱UFJリサーチ&コンサルティングの理事長務めるほどの碩学が、なぜ「小学生にもわかるバブルの生成と崩壊のストーリー」(中谷氏)の危ふさに「我々「大人」には見えなかつた」のか。失礼ながら恥づかしいかぎり。これまでの贖罪で論壇での主張に期待したいところ。だが
貧困大国となった日本社会をもう一度「一体感」のある温かい社会に戻すには何が必要なのか。このことこそ、われわれが今、真剣に問い直さなければならない喫緊の課題なのではないだろうか。
と言ふ、その「一体感」こそ曲者。それがチャチなナショナリズム自民党政府的には教育でいへば「心のノート」的なところに収斂されることの悲しさよ。

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