富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-01-04

一月四日(日)昨晩深更までの酒飲みで帰宅する頃に貧血気味で帰宅すると一瞬、横隔膜あたりが攣つて呼吸困難。何年かに一度あり。一番最初は学生の時に中国へ初のバックパッカー旅行の時。香港から深圳経由で広州に一日がかりで入り広州の広さもわからず広州火車站より珠江に向け南下して歩き始め、当時は粗雑な市街地図しかなく軍事的理由からか縮尺なし!で市街の広さわからず思ひリュック背負つて歩き初めて一時間半。地図上でまだ数センチしか歩いてをらぬことに気づき路線バスに乗るのも緊張からか厭はれ(今では笑つてしまふが)旅行中は絶対に乗らぬ!と決めてゐたタクシーに初日から乗つてしまつて珠江岸までどうにか辿り着き、さて宿探しに歩き始めた瞬間にこの発作のやうな痙攣のやうな、に襲はれる。それ以来、数年に一度これがある。で、本日は快晴。今日はMizunoのハーフマラソンだが多少の宿酔のまゝオフィスでのご執務の日々続く。師走から正月でアメ横の売り子よりアタシのはうが忙しい。頭痛ひどいが帰宅して残り物の白葡萄酒を飲むと気分爽快。アル中かしら。お節の残りで夕餉。鰹出汁の雑煮。寒さに湯湯婆抱き臥せる。
▼26年前に広州で中国初の外資系(香港系)最高級ホテルとして開業の白鵝天酒店(White Swan Hotel)が今年1年閉業し5.3億元投入しての大改修の由(蘋果日報)。そりや開業から数年の高級感といへば大したもので、前述のアタシの処女旅行で、どうにか辿り着いた「沙面」の、ホワイトスワンホテル見上げる安宿に糊口凌ぐ薄汚いアタシなどホワイトスワンに入らうとすれば「お客様、申し訳ございませんが」とドアマンに慇懃に入店お断りされたほど。だが老朽化著しく、また広州には外資系超高級ホテル目白押しで進出し今ではホワイトスワン、花園、中国大酒店の御三家も埃かぶり今イチ。で今回の大改修となつたが、ごちやごちやした旧市街の旧租界の中洲・沙面にあるはずのホワイトスワンホテルがご覧のやうな緑地の中にあり「地球温暖化」対策でつひに広州では市街地ぶつ潰しての緑地化かしら(笑)。
▼ヴィクトリア公園で開催の「工展」。若い人はピンと来ぬだろうが所謂「勧工場」。戦後、香港の工業生産、主に軽工業の食品や繊維、日用品など屋外の展示会として始まつたが会場で製造元が製品廉価で販売することで市民に歓迎され殊に行楽も少なき昔は冬の恒例催事で規模大きくなり今日に至る。今日で閉幕。今年はとくにインフレや不況で廉価商品の購入熱高く23日間で216万人参観の由。
▼銀行のクレジットカード。他カードとの差別化も必要なのだらうが大新銀行が今回発行は「どらえもんカード」。どらえもんカードも普通カード、ゴールド、プレミアの差別化するなら、せめて普通カードが「のび太」から始めるべきでは?
▼昨日の信報に鄧永鏘氏が「西九不要過山車」と題して
香港最悶的事可能有兩件,一是盛智文(Allan Zeman)講他對香港的無限貢獻,二是令人打「喊路」的西九龍文娛藝術區(西九文化區)項目。兩件事表面上無關,但我發現兩者好像又有些少關連。
と語る。Allan Zeman(AZ)は1983年に中環の蘭桂坊にてCaliforniaなるレストラン開業皮切りに蘭桂坊の歓楽街化に尽力(さういふ意味では麻布六本木と同じ運命を辿るのだが)。その娯楽業開発の才覚買はれ香港鼠楽園開業で瀕死か、と期された香港海洋公園の救援に、と董建華に請はれ海洋公園のテコ入れに着手。鼠楽園の為体も幸ひしたが海洋公園は見事に動員伸ばし今日に至る(この董建華のAZ採用は建華七年の唯一の功績か……笑)。で今では香港政府の行政会議メンバーで近く全人代入りすら噂されるAZだが香港で計画の停滞する西九龍(埋立地)の文化エリア開発計画でAZ氏起用があるのでは?といふことで、鄧永鏘氏は「それがあつたら憂鬱」と。西九龍はハードの問題よりソフト欠如が問題なのであり、ただ豪華な劇場など箱物と巨大な観覧車建造で片づく問題ではない、と。御意。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/