富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農歴十二月初十。小寒。多忙続く。腰痛が芳しからず。ふと気づけば久々にスーツで腰のベルトが締め付けで患部に障るゆゑ。さういへばぎつくり腰の襲来直後の激痛期もジーンズ穿いたのも今にして思へば患部には優しからず。お出かけついでに金鐘の西武百貨店の男装部で吊りベルト購ふ。晩遅く湾仔で空腹覚え路上に佇む。向ひには再興焼臘、背後には泉記。最近太りぎみで二更の焼臘は禁物、と泉記で紫菜魚蛋粉を食す。本当に美味。一昨日に帽子忘れたY氏のMに寄ればY氏と来港中のH嬢いらつしやり一酌だけカウンターに凭り二更のうちに帰宅。
釈迢空の未発表短歌見つかる(1月4日の朝日新聞)。
むつきたつ春ここのかとなりにけりをとめうまれてこのやどはなやく
手すきの和紙に書かれ、台紙裏には加藤守雄(1913〜89)の印と「釋迢空筆・大井出石の宅に唐紙に粘(貼の誤字?)つてあつた」と由緒書きがあり。守雄は戦時中、折口家の書生であつたが「師と同居の内弟子関係の濃密さに耐へかねて出奔」。で終戦後に折口家に入り師の湯潅をしたのが岡野弘彦で、守雄はその後、国文学者として折口信夫全集の編集委員となり、弘彦は歌人。守雄が生前に友人である故井口樹生(慶大教授)に寄託し額装、箱入りのまゝ井口家に置かれてゐたものを昨秋、井口の妻和子さんが開封、発見の由。井口家からこの色紙を預かつた藤原茂樹慶応大教授はこれが信夫の直筆であると認ため「加藤さんが使つた六畳間に僕も入つたのだが、この部屋のふすまに先生筆の歌があつた」として挙げたのが、白楽天
背燭共憐深夜月 踏花同惜少年春 燭を背けては共に憐れむ深夜の月花を踏んでは同じく惜しむ少年の春
と、
わが暮し楽しくなりぬ隣り部屋に守雄帰りて衣ぬぐ音す
であり、だが「しかしこの歌(今回発見された「むつきたつ……」)の記憶はない」と。この記事、朝日の国際衛星版には記事なく、久が原のT君が教へてくれたもの。桂冠詩人が鶏姦とはまさに折口と守雄の関係かしら。それにしても先生もこんな文句を襖にお書きとは「惚れた弱味で何とも健気」か。
▼中国の経済格差の問題。 ITH紙のDavid Barboza記者による“Exemplars of success - and of a China mystery” 3-4 Jan 2009が面白い。具体的な話は、フォーブス誌で昨年の中国長者番付トップとなつた「肥料大王」東方希望集団の劉永行先生(推定資産は約2900億円、日経)にかかはるもの。その記事の中でMITのビジネススクールの研究者 Huang Yashengが指摘するのは“The pussle is not why the Liu brothers succeeded but why there are not more like them in China”と点は確かに私らの素直な疑問であり“Rural China represents a vast pool of entrepreneurial capabilities and substantial business opportunities”と、共産主義中国が改革開放で資本主義化する中でなぜ、かうした億万長者と週給US$50にも満たぬがかうも容易に格差社会化したのか。本来もつと全般的な底上げが期待されたわけだが上海のXu Xiaonianなる研究者は「もう昔のゲームは終はつた」と手厳しく、さまざまなマクロの経済社会問題が生じてゐるなかで(えうするに「豊かになる者から豊かになる」「黒猫でも白猫でも鼠を捕る猫は……」的な鄧小平の初めた最初のゲームから)抜本的な改革が必要であることを説く。アタシは中国の社会矛盾の肥大化が中共にとつては天安門事件のやうな政治運動よりもつと深刻になるわけで中共一党独裁で何処までこれに対応できるか、が最大の関心事。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/