富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-01-03

一月三日(土) 摂氏12度だかと厳寒の朝。今日もご執務続く。はッと思つてBBCのChannel-3を開けばこちらで「さう/\、バレンボイムの維納フィルの新年音楽会が聴けるぢやない!」で賞味期限はあと二日。ぎり/\セーフ。新年の、こんな時ぢやないとアタシはストラウスなんて聴かないし聴いてみればこの新年のストラウス三昧の音楽会はアタシには征爾さんが指揮しようとバレンボイムはんが指揮しようと、そりや正月の寄席で「今年の染太郎染之助の皿の回し具合は」と評するのと同じ愚の骨頂でお目出度ければ良いもの。聴いて「明けまして御目出度う御座居桝」なのだ、当たり前だが。それにしてもBBCはなぜこの維納新年演奏会の中継が生中継の上に正月五日だけとはいへ提供出来るかといへば有力な墺太利の地元企業の提供があるから、でHabsburg Riviera Expressなる列車で優雅にOpatijaまで旅しませう、餐車でお食事、個室寝台の客車は……と宣伝が入る。Opatjiaは今はクロアチアだがかつてのオーストリア帝国領である。バレンボイムもちやんとこの列車での楽しい旅の感想まで述べ、BBCは倫敦だから当然、倫敦から維納までも列車の旅は……と気分は城達也のジェットストリーーーーーームなのだ。で、さうした地元の観光宣伝をするから海外中継が赦される。夕方、湾仔に出て早晩に李景記粥店に及第粥を啜る。李景記も一時のブームも退潮。「粥王」と呼ばれた主人は不在。まぁ確かに美味いのだが、たかだか粥といへば粥。でもさういへば新潮社の「旅」といふ雑誌が2月号で香港特集。母が郵送してくれたが、まぁ粥だの麺だの地味な店を総力紹介。それはそれで結構だが横丁の鳥渡した店といへばそれまで。確かに美味いが、そんな店がそのへんに何軒もあるのが香港の素晴らしさ。こんな店が紹介されてる!と近所の方は驚くだらう。ところでこの香港特集の巻頭エッセイは蔡瀾先生。先生曰くSohoで「旧英国植民地時代の雰囲気を味はふのもよし」だとか書いてゐるが粗呆区つて出来たのは1997年以降(笑)。九龍に渡り尖沙咀。久々にペニンスラホテルのバー。いつもの席でバーテンダーP君が黙つてゐてもいつものタンカレーマティーニ檸檬皮添へ、を供してくれる。つい二杯。おつまみが出されていつも断るのだけど、ありゃもしかすると十回に一回くらい「食べたい!」と思ふ時もあるはずで、そんな時に頼むのは恥づかしいから、いつも断るのは承知で、だから「遠慮がち」に出さうとしてすぐ引つ込めるのだらう。新聞を読み始めると冷たいおしぼりが出るタイミングも素敵。ただ数組の客がにぎやか。困つたものだがバーテンダーもやはり雑談してゐるから、店も客もお互ひ香港的には赦せるレベルなのだらう。日本の禅寺のやうな静かなバーがアタシは好きだが。今晩も梅蘭芳劇團の京劇を観る。今晩は「穆桂英掛帥」。京劇ではよく掛かり「楊家女将」とか一幕物で観てはゐるが、かうして通しできちんと観るのは初めて。穆桂英役は尚偉、李玉芙、董圓圓と三人の女優が順に勤めるが、そりや確か梅蘭芳の最後の愛弟子に当たる李玉芙が(それなりに老けたが)美しく、且つ上手い。国宝級の李鳴岩が地味に力量たつぷりに演じる余太君との掛け合ひはもう観てゐて震へるほど。先代の八重子が山田五十鈴相手のやうな感じ。李宏圖は今日は穆桂英の夫(楊宗保)役で出てゐたが高音は冴えるが見た目がこの人は若すぎて損をする。今晩はよく知つた筋なので台詞をきちんと押さへたいと思つたが京劇で歴史物の大芝居といふのは、口語とは全く異なる複雑な言葉の言ひ回しが続く。これが難しいといへば難しいが面白みでもあり。大それた表現の数々。例へば「免駕回宮!」。宋の王が宮城の中で「寝殿に帰る」と言ふ、それだけの言葉が「ワシは奥に戻るぞ」で済むのが(それで済ませてしまつてゐるのがNHK大河ドラマだが)王みづからが「免駕回宮!」と言ふ。それを家来らが「免駕回宮!」と大声で繰り返す。殿は御自らお歩きで戻られる、と大層な言ひ回しで、それで王の威厳を表すのだが英語の字幕では“I'll go back to the palace!”だ。これぢやつまらない。日本語でも「免駕回宮!」を体よく訳せない。漢語の、だから京劇の面白さ。これが散見される。京劇など見始めてやうやくそんな面白さに気づくやうになり。また感情表現が、歌舞伎ならたつぷり見せるであらう心の葛藤のやうなものが京劇では悪く言へば「雑」で通り一辺倒の歌劇に見える。装飾や派手な化粧で表情も見えぬ。で「つまらない」と思つたりもしたが、これも慣れてくると客は馴染んだ筋で「そんな心の葛藤があるのは百も承知」で、突きつめたところ役者の歌の上手さ、台詞回しの妙に聞き惚れて耽る。何百年かけて舞台と客の間で完璧に出来上がつた関係なのだらう。二時間四十分たつぷりの通し狂言。跳ねたら時間がないので尖沙咀からタクシーで銅鑼湾に渡る。10分で着いちまつた。Y氏の営む音楽演奏のあるバーMは開業当初に一度お邪魔してから二度目。日本から知己のH嬢が今日来港とY氏に招かれ懐かしい面々で深更まで飲む。H嬢にバレンボイムの維納フィルの新年音楽会の話をせば「ほら、日本ではケータイのワンセグで見れるのよ」と動画見せられ驚くばかり。

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