富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-12-31

十二月卅一日(水)曇。新暦晦日。仕事片づかず独り黙々とご執務。香港ゆゑ単に新暦晦日に過ぎずメールや電話で普段と何変らずお仕事の御仁少なからず。午後遅く用足しに中環。野暮用幾つか済ましFCCのバーに赤葡萄酒二杯飲めば酒場も晩から大晦りの大宴会の準備に慌ただし。アタシも幼き頃郷里の商店街は年の瀬末日の慌ただしさといへばそりや賑やか。家業手伝ひ、すわ集金だ、すわお届けだ、「おい/\、年越しの蕎麦は頼んだか」「注連縄は買つたか」、水雷様へのお参りは済んだか、と。何かと家の手伝ひでお遣ひに出掛ければ「鳥渡早いがお年玉かはりの駄賃だ」と近所の商店主だの銀行の支店長だのから祝儀少なからず。祖母らが御節料理を作れば正月だつて忙しいから、と年の瀬のうちの食卓に年越し蕎麦に並び金団や煮物など皿に並んでしまひ家の仕舞ひのうちに父母は茶の間に坐るどころか仕事も終はらぬ内に紅白は始まり気がつけば除夜の鐘……もう数十年も昔のこと。今日は兎に角アタシも仕事納めと思つたが続けて五時間も机に凭ればぎつくり腰の痛みも複り脂汗。どうにか仕事済ませ「さて帰宅」と自動車雇へば秘密基地の正面玄関の大扉外れ慌てて職人呼ぶ始末。昏時帰宅。Z嬢と貰ひ物の仏産の発泡酒飲む。紅白歌合戦を他に観るテレビ番組もなし少し眺むる。審査員席には本木雅弘氏、並ぶ播磨屋など及びもせぬ華あり。審査員としての姜尚中教授の臨席に驚くばかり。姜教授、審査員などどうでも良いコメントだけ求めさつさと画面切り替はらふとする中「歌の力で仕事から溢れてゐる人や生活に困つてゐる人が少しでも元気になつてくれれば良いと思ひます」だかとコメント。さすがの人格。「次は」とステージで紹介あり「えんやさんです!」と。噺家円弥師匠はとうに亡くなつて澤瀉屋の猿弥が紅白?と思へば司会のアクセントが変なだけで愛蘭からEnya(笑)の出演はヒット曲「オリノコ=フロウ」で鳥渡、その室内楽でこの演奏は出来ないでせう、の80年代後半のCDの演奏そのまゝ=つまり口パクと思はざるを得ぬもの。すぐに続いた二曲目では「さつきチョロ弾いてたオネーチャンが後ろで踊つてるよ」とZ嬢大笑ひ。それにどうしやうもないがゲストで出るお笑ひ芸人の「扱ひの」拙さ。昔なら三波伸介だのもつと扱ひが良かつたが兎に角、チョイ役の出番でオチもない。放送作家の技量の低落ゆゑ。やつぱり馬鹿/\しひので(と言つて毎年少し見るみだのが)テレビを消す。Z嬢の栗金団だの煮物や煮豆などよくもこんな薄味で見事に素材活かし大したもの。それを肴に晩酌続く。自家製のプリン格別。ブランデー飲む。半夜三更ヴィクトリアハーバーの汽船が一斉に汽笛鳴らすのを聴くも半ば白河夜船。
朝日新聞見田宗介氏の「リアリティーに餓える人々」読む。1968年永山某による連続射殺事件と今年の秋葉原の連続差別殺傷を前者は「未来への憧れ」の時代の希望と遮断、後者は希望なき時代、この二つの時代の「まなざし」の違ひなど比較するのは勝手だが、この両事件の加害者が「本州最北端の青森県出身が、東京で事件を起した」といふだけで結びつけてみせた! アタシにとつてはかつての朝日新聞の論壇時評で法大の社会学の若き碩学。「戦後日本の人々の欲望や社会の変化を広い目でとらへてきた日本を代表する社会学者」(朝日の紹介)見田先生にアタシも若い頃はかなり学んだが。社会学者ともあらふものが、こんな、青森といふ「偶然の一致」で語らふとは。もし秋葉原の加害者が銀座の天ぷら屋・天金の息子であつたら、それだけで見田宗介のネタは崩れちまふ朧げなさ。或いは本州最北端の田舎者と銀座の都会つ子が同じく心が蝕まれ、と論じてみせるのかしら。大晦日にまつたく不愉快なものを読んぢまつた。
▼トーマス=シーファー駐日米国大使が朝日新聞に「児童ポルノ 日本は単独所持禁止を」と寄稿。これを読んで「さういふものか」と思つたのは子どもの性的虐待の是非はそりや非はともかく、プラトン良寛さん、乱歩さんの昔やアーサー=C=クラーク先生も覚え目出度く、とにかく大人による勝手な若い人への「嗜み」は古今東西あつたわけで、その「被害」にあつた青少年も辛からうが世に育まれ、あるいはその加害者の薫陶!を得て大成する者すらあり。で何故それがここにきて大問題となつたのか、はシーファー大使の指摘する点で、まさに言はれてみればその通り、の「インターネットの普及」で児童ポルノが「数十億ドル規模のビジネス」と化したこと。さうした被-虐待は少なくても過去の時代では『バナナフィッシュ』のアッシュ少年のやうに自らと、それを知る少数の世界でどうにか消化なり克服、否定、あるいは復讐で対処できたもの。それがネットといふ媒体の登場で、もはや個人レベルではどう太刀打ちも出来ず、自らのさうゐた被害が世界中に永遠に!流布される、と思へば、これは確かに良寛さん、乱歩さんの時代とは違ふ。ほんとさういふ意味でネットの登場と普及がいかに世界を変へちまつたか。
▼陶傑さんが蘋果日報「飯島遺愛」と続き。埋立だけ済ませいつたいどんな文化施設造るか?が全くアイデア空つぽの「西九龍」にどうせなら飯島愛博物館を!と。日本にまだ飯島愛記念館がないのだから香港に造つて彼女の生前のAV作品上映し直筆の手紙やネグリジェ、枕カバーから飯島愛に関する全てを展示するのは、ブルース=リー記念館がユーゴスラビアにあるのだから(正確にはボスニアモスタル銅像?)香港に飯島愛博物館があつてもいいぢやないか、と。さらに香港大学ては教養課程で「飯島愛通論」を、と。
IHT紙でPhilip Bowring氏の“A close-up on Japan's 'lost decade'”が不景気な年の瀬にはしみじみ。紐育時報は東京タワーのお話で“Beacon of Japan’s Future, Sparkling With Nostalgia” by Martin Facklerもしみじみ。

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