富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-12-30

十二月卅日(火)小雨。湾仔の淺井先生の鍼灸院に通院二日目。昨日午後は言付け守れず安静にできず、然れど今朝はかなり動きも楽。今日も鍼とエレキ治療。昼前に銅鑼湾I氏の理髪室で散髪済ます。若い友人N君にずつと前に紹介いただいてゐたシャツの仕立屋にやうやく寄り白の綿のシャツ二枚誂へる。一枚は普通のYシャツだがもう一枚を半袖の開襟シャツで、と注文せば店の主人に「今どき開襟なんて作られる方をりませんですよ」と驚かれる。昔は東京なら丸善でも三越でも、無印にだつてあつたのだが。パナマ帽に開襟シャツは夏の定番なのに。今回は綿だけど出来上がりが良ければぜひ麻で。これで夏まで生きる楽しみあり。中環。母来港の時の写真現像受け取り。午後、FCCのバーで冷たい白ワインで喉を潤しつゝ何気にiPodでメール見たら久が原のT君から「鍼のあとはあまり飲んぢやいけません」と忠告あり(笑)。銀行やいろ/\支払ひなど年末の雑事済ませ帰宅。水炊きを食す。近藤紘一著『サイゴンのいちばん長い日』文春文庫で二十年ぶりか、の再読。
蘋果日報で陶傑さんが「飯悼愛」と題して飯島愛急逝を嘆く。
四十歳以下の香港の男たちは飯島愛のAV見て、成長。愛ちやんは香港の男に性教育を施しただけでなく、彼らはみづからの妻や恋人、妓女らに愛ちやんがAVで見せた姿格好をさせたゆゑ、つまり彼女は香港の女性も体位や品味に関して愛ちやんの影響を受けたのだ。香港人の「集団回憶」とセクシュアル・アイデンティティ飯島愛の死によつて崩れたのだから彼女の死は「港喪」なのだ。香港の日本総領事館に祭壇を設けて記帳を受け付けたら訪れる者の列は金鐘(中環の間違ひ)から北角にまで到るであらう、と。
ミシュランの香港・マカオ版が「地元無視」でかなり話題になり劉健威兄などもまだ信報の連載でミシュラン論続けてゐるが健兄も引用したのがFT紙の十二月十三日週末号に掲載された“China‘s first Michelin star”なる記事で、書き手は中国料理については見識あるFuchsia Dunlop女史で健兄はこの食家とは懇意であり評価するから余計に論に熱が入る。ただミシュランの輩が言ふ“We offer a selection of restaurants, not the selection, and there will always be other opinions.”といふ言葉で「はい、それま〜でよ」だらう。たかだかレストラン格付けの「一つ」に過ぎぬのだから。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/