富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦十一月初十。大雪。日曜だと言ふのに朝の白む頃から日暮れまでご公務あり。なんとなくずつと居なければならない仕事つてのが一番疲れる。帰宅して北角街市の嘉美鶏使つた水炊き。北角街市で買物中のZ嬢は「指差し広東語」とか使つて街市でお買ひ物の実践中らしい日本人駐在員妻グループに遭遇。「このへんの店の人たちつて年寄りは話せても読んだり書いたりは出来ない人がゐるから」と指南役の言葉。Z嬢は「あの婆さんたちだつて青菜の名前や値札書いたりフィリピン人と片言の英語で会話だつてしてるのに」と感想。風邪が治りきらず。起きてゐるのがつらい。
朝日新聞の書評欄に佐藤卓己著『テレビ的教養 - 一億総博知化の系譜』紹介あり。「一億総博知」とは佐藤先生も皮肉たつぷり、と思つたら書評(西秀治)を読むと
評論家の大宅壮一はテレビを「家庭の茶の間に氾濫しては一億総白痴化になる」と言って流行語にもなったが、『テレビ的教養』の著者は「一億総博知化」のメディアと読み替えた。テレビ史を教育や教養の観点から見ることで、戦後にテレビが果たしてきた役割が分かる。末尾では「テレビをよく読み、よく批判しなければならない」と説く。
ださうで、なるほど真つ当。(原著を読まずに言ふのもなんだが)読売テレビのドキュメンタリーであるとかTBSの報道とかNHKの教養番組とか、そりや戦後、大切なテレビ番組があつたのは事実。だが「テレビをよく読み、よく批判」できる人なんてのはテレビがあらうがなからうが判断力のある教養人なわけで、むしろそんな素養のない人たちこそテレビがなければ生きていけない、と思ふとやつぱりマズゐんぢやないか、と思ふ。
加藤周一さんの訃報記事。さすが朝日新聞は一面、天声人語、文化面で追悼文は大江健三郎井上ひさし談に社会面は浅田彰談含むと大盛り。それにしても大江先生の文章の弱さうな強さ、強さうな弱さがなんとも……。
真の大知識人加藤周一の広さ深さをひとりで継ぐことはできないが、あの人の微笑とまなざしに引き寄せられた者らいちいちの仕方で、その志を継ぎ、みんなで統合することはできるだろう。
つて確かにさうなのだが、1960〜70年代ぢやないから、それに引き寄せられた者も圧倒的に少ないし、ましてや大江先生の呼びかけに共鳴する人となると更に少ないわけで、そこで大きな流れには絶対にならないのだらう。

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