富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-12-06

十二月六日(土)風邪薬の強引な内服で熱も下がり咳や痰も収まつてはゐる。が発熱は体内の悪い菌を殺すためと思へば強引に熱を下げてしまふことはけして良事に非ず。ゆつくりと養生したいところだがそれも能はず。ふら/\してゐるが散髪に参り昼に湾仔のグランドハイアット。A氏送迎でホテルには数十人の送り手。自動車で香港空港にA氏見送り。空港にも多数の方聚る。自動車で陋宅に戻り夜まで臥床。うどんを煮て食す。気温は摂氏15度。我が書室は深々と冷え始め毛布膝に掛け机に凭り夜業。
加藤周一氏逝去。享年八十九歳。戦後の日本のリベラルな教養。よくぞ一貫した立場で頑張つた。が「羊の歌」を読んだ若かつた頃のアタシは「戦時中に知識人の立場で軽井沢に隠遁してゐて、なにが戦後だ?」と疑問に思つた。氏のリベラリズムに共鳴する人がゐて、おそらく日本の人口の二、三割のところで戦後日本の舵をぎり/\のところで右旋回を中道に戻す役割してきたのだらう。が本来であれば戦後の日本の国の形(constitution)となるべき周一さんの思想が具体的に戦後の日本にどれほど根づいてゐたか?を思ふ。残念なことに彼や丸山眞男らの思想が「かつての戦後思想」として片づけられてしまふやうな時代に已になつてゐるのではないかしら。それも全ては周一さんも含めレジスタンスや市民革命を経てをらぬ思想は悲しくconstitutionとしてつひぞ建立されず。それが戦後日本の脆弱さそのものなの鴨。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/