富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-10-30

十月卅日(木)昨晩もご一緒のA氏と燈刻に尖沙咀。Weinstubeでワルシュタイナー麦酒一飲。Z嬢も来て日本料理・京笹に食す。この食肆、魚の塩焼き、酒盗、鰯の一夜干しからポテトサラダに至るまで塩がかなり控へめで素材の風味が活きるのが大したもの。香港文化中心。羅府フィルの演奏会。指揮は1992年からこの楽団率ゐ今季で勇退のヱサ=ペッカ=サロネン。曲はファリャのEl Amor Grujo(魔術師の恋)から三曲、ドビッシーの「海」、中入りでラヴェルのMa Mère l'Oyeとボレロ。昨晩はチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番で盛況だつたらしいが、さすがに香港での知名度は高からぬロサンジェルスフィルでこの演目では今日は空席もちらほら。米国のオケもこの数年で紐育フィル、フィラデルフィア、桑港を香港で聞いてをり、米国の而も加州、更に羅府といふことでアタシは先入観で苦手だが(笑)サロネンが手塩に育てた羅府も予想以上の演奏ぶり。個人的にアタシは第二ヴァイオリンとヴィオラがしつかりしてゐるオケは頼もしく思ふ。ドビッシーの「海」は近代音楽の需要な楽曲の一つといふがアタシはちよつと苦手で、これがどうして北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」なのよ?なんてコトばかり考へてしまひ、今晩は淡酔気味で不覚にも大海原で微睡に陥る。Ma Mère l'OyeもZ嬢なんかは原曲のピアノ四手連弾の組曲を知るからオケに編曲されたこの曲が面白い由。アタシはマザーグースの素養なんてものも欠けてゐるから、これが「眠れる森の美女のパヴァーヌ」だの「親指小僧」「パゴダの女王レドロネット」「美女と野獣の対話」「妖精の園」といはれてもピンと来ず、例へばマザーグースの物語の絵本でも柔らかな動画で見せられながら、この曲を聴いたら、さぞや楽しからう、と思ふ。ボレロ木管金管のソロの力量も充分で弦が殊に中低音が美しく響く。打楽器もあんなラグビー選手みたいのがスネアだの木琴だの叩いてゐるのだから安定感は一入。サロネンの指揮が見栄えたつぷり。アンコールはラヴェルを続けてMenuet Antique「古風なメヌエット」。もう一曲はサロネンはんが「花火」と言つたやうに聴こえたが賑やかなオケ曲でドビッシーのピアノ曲の「花火」の編曲であるはずなし。不明。さう/\、この音楽会の会場でお懐かしや董建華夫妻がVIPで来場、参観。新鴻基地産で弟二人から筆頭役員解任された長男氏も。董建華、演奏が跳ねて連れがお手洗ひの間にバルコニーから眺めてゐると正面階段を下りずに脇のエスカレータから車寄せに向ふ。なにせ全人代副主席の超VIPだから警護上の理由か、上品な観衆の間から罵声でも飛ばぬことへの配慮か、いづれにせよ、すた/\と早足で颯爽と歩かれる姿を見て2003年に「脚痛」を理由に行政長官引退が今ではすつかり脚部も全快か、と喜ばしいかぎり(嗤)。
▼このロサンジェルスフィルの香港公演につき楽団自身が今回が香港初演と主催者側に答へてゐたさうだが、実は1956年が初来港で旺角の麥花臣球場!でAlfred Wallenstein(1898〜1983)の指揮で野外演奏行ひ、これが香港にとつて戦後最初の本格的な大型のオケの来港で、これが香港政府に中環の市大会堂建設の刺激与へた、と周凡天氏が数日前の信報に記述。凡天氏は更に実はこの1956年のロスフィルの来港は政治的任務に基づくもの、とX-File的に話を進め、アジアの赤化憂ふ米国政府が米国文化音楽交流でクラシックやジャズなど積極的に音楽団をアジアに遣つたことなど語る。まぁ確かにさういふ背景はあつたらうが、さういふ意味では欧州のオケも日本の歌舞伎も文化交流も米国の当時の「赤化防止」ほどぢやないにせよ何らかの国の意図が働いた政治的装置だらう。どうも周凡天氏の筆は走るきらひあり。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/