富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-10-03

十月三日(金)晩に慌ただしく天后の華姐清湯腩で腩河を食す。だいぶ待たされ出てきた腩河が麺もスープも「温めた」くらゐの温さで全然ダメ。どうしちやつたのよ? で程々食して止め、いぜんから一度やつてみたかつた隣店の大利清湯腩との食べ比べ(笑)。大利はちやんと(当たり前だが)熱々の腩河供される。個人的にはスープは醤油の強い大利より華姐の塩味の方が好き、と改めて思つたが華姐の今日の「温さ」はダメよ。尖沙咀。香港文化中心のスタジオシアターで京崑劇場・上海青年京崑劇団の通し狂言「烏龍院」を見る。水滸伝に纏る、いはば外伝(another story)で「坐楼殺惜」とも呼ぶ。あまり日本で紹介も少なき芝居にて以下、あらすぢ(結末のネタばらしもあり)。
(第一場:閙院)宋朝。歌女閻惜姣父母ト戰禍逃レ山東ハ鄆城縣ニ至レバ父其ノ地ニ客死ス。蒙縣衙刑房書吏「宋江」閻惜姣ガ父ヲ手厚ク葬ヒ、母ハ宋江ノ恩ニ報ヒ、夫亡父後ノ糊口ヲ凌ガウト娘閻惜姣ヲ宋江ノ妾トス。宋江、閻惜姣ト其の母ヲ烏龍院ニ圍ヒタリ。宋江ニ年少風流ナル徒弟ノ張文遠アリ閻惜姣ト戀仲ニ。閻惜姣、亭主ノ宋江ニ冷タク當タリ、怒リシ宋江「モウ二度ト來ヌワヒ」ト言ヒ放チ烏龍院ヲ出ズ。(第二場:殺惜)宋江宋朝ノ地方役人ナガラ曾テ梁山泊ニ陣取リ宋朝ニ刄向カフ軍團ノ頭目・兆蓋助ケ逃ガシタリシ事アリ。役人ニトツテハ朝廷ヘノ重大ナル裡切リ行爲。兆蓋カラ屆キシ密カナ逃亡扶助ガ感謝ノ書狀懷ニ、宋江ガ家路ヲ急ゲバ、バツタリト出クハシタハ閻惜姣ガ母。コノ母ニ誘ナハレ、モウ二度ト來ヌワヒ!ト決メシ烏龍院ニ連レテ行カレタル宋江。惜姣ガ母、ドウニカ娘ト宋江ノ仲、持チ直シテクレヌト生活モ不安、トアレコレ二人ガ復緣取リナセド兩人冷エキツタママ。一晚眠レズ宋江ハ朦朧ト烏龍院ヲ立チ去レバ、ナント兆蓋カラ受ケ取リシ書狀ヲ院ニ置キ忘レタル不覺。慌テテ戾リシ宋江ハ手紙ヲ返セヨト必死ニ何度モ惜姣ニ懇願スルガ閻惜姣ハ取リ合ハズ。ソリヤ今デハ憎キ曾テノ亭主。手紙ヲ返ス代ハリニ離緣シロ、張文遠ニ嫁グモ認メヨ、ダガ今後モ祿ハヨコセ、ト宋江ニ問ヒ詰メタル惜姣。泣ク/\離緣狀認メザルヲ得ヌ宋江、惜姣ハ手紙返スヲ澁リ……モウ堪忍ノ縧モ切レタ、ト激怒セシ宋江ハ惜姣ヲ刺シ殺シタリ。(第三場:活捉)宋江ニ殺サレ幽靈トナリ果テシ惜姣、慕フ張文遠ノモトニ現レ、アノ世デノ一人身ハ寂シト文遠ヲ狂ヒ死ニサセアノ世ヘト連レ去ル……。
といふ話。面白さは閻惜姣がかなり強かで欲深く策略的な女であること。安定した地位と収入のある宋江とは離縁したく若い文遠と相思相愛、といふのならわかるが、実は芝居で見ると文遠はあまり魅力もない梲の上がらぬ男で惜姣にも始終、小言を言はれ耳を抓られの為体。惜姣がなぜ宋江と別れてまで文遠に惚れるのか、が不思議だが、惜姣の小狡さがこの芝居の妙と思へば文遠もまた惜姣に騙される男の一人か、といふ憶測もあり。今回のこの京崑劇場・上海青年京崑劇団は舞台は暗幕を背に机と椅子を置いただけの道具でかなり洗練した現代風の京劇に仕立てた点はかなりアタシの好み。宋江役の耿天元(画像で右の男優、但しこの画像は取材時の即興でのもので舞台は京劇の正装)による演出、改編。閻惜姣を演じた鄧宛霞も憎々しさを好演。だが「好、好」の台詞で親指を立てたり幽霊になつた惜姣がまるでキョンシーの如く動くのは客の失笑買つたが、さういふ演出は如何なものか。芝居跳ね本日この観劇ご一緒したシニアチケットのA氏とペニンスラホテルのバー。知己のバーテンダーP君いるが若輩のバーテンダーに酒の調合任せたが、全く以て未熟。鼻歌は歌ふ、カウンターに並ぶバー用品を目の前でガサ/\と洗ふ、で一流のホテルのバーのバーテンダーとしては失格。P君もその指導監督に欠けるのだから多少失望。客前で緊張感に欠けるバーは困る。バーテンダーは終始、寡黙が良い。香港なら焼鳥屋だが五味鳥を見習ふべき。

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